ローム_(ニューヨーク州)
[Wikipedia|▼Menu]

ローム
Rome, New York

City of Rome
オナイダ郡庁舎(1851年建築)
標語: 全ての中心(Center of It All)
ニューヨーク州におけるオナイダ郡(右図のピンク)と同郡におけるローム(左図の赤)の位置
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}ロームアメリカ合衆国におけるロームの位置
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯43度13分10秒 西経75度27分48秒 / 北緯43.21944度 西経75.46333度 / 43.21944; -75.46333座標: 北緯43度13分10秒 西経75度27分48秒 / 北緯43.21944度 西経75.46333度 / 43.21944; -75.46333
アメリカ合衆国
 ニューヨーク州
オナイダ郡
法人化1870年
政府
 ? 種別市長・市政委員会方式
 ? 市長ジョセフ・フスコ・ジュニア
面積
 ? 合計75.7 mi2 (196.0 km2)
 ? 陸地74.9 mi2 (194.1 km2)
 ? 水域0.8 mi2 (1.9 km2)  0.99%
標高456 ft (139 m)
人口(2010年)
 ? 合計33,725人
 ? 密度466.4人/mi2 (180.1人/km2)
等時帯UTC-5 (東部標準時)
 ? 夏時間UTC-4 (東部夏時間)
市外局番315
FIPS code36-63418
GNIS feature ID0962840
ウェブサイト ⇒http://romenewyork.com/

ローム(: Rome)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州の中央部北寄り、オナイダ郡にある都市である。アップステート・ニューヨークと呼ばれる地域にある。2010年国勢調査での人口は33,725 人だった。作家ジェイムズ・フェニモア・クーパーの『レザーストッキング物語』で有名になった「レザーストッキングの国」にあるユーティカ・ローム大都市圏の主要都市の1つである。アメリカ合衆国下院議員ニューヨーク州第22選挙区に属している。

ローム市は18世紀と19世紀に北アメリカの大西洋海岸と五大湖を繋いだ重要なな水路が通った場所にある。当初の開拓地はこの水路を守るために1750年代に建設された砦、特にイギリスのスタンウィックス砦(1763年建設)と関連していた。市となる発展は1796年に水路に沿ったローム運河の建設で始まり、同年、オナイダ郡の一部としてロームの町が正式に創設された。この運河に隣接する小さな町は、当初の土地所有者にちなみ、暫くの間非公式にリンチビルと呼ばれていた[1][2]。1870年2月23日、ニューヨーク州議会がロームの町を正式に市に転換した[3]。ローム市民は町のことを「アメリカ史の都市」と呼んできた[4]
歴史
オナイダ・キャリーイング・プレース

ロームは五大湖とカナダからモホーク川ハドソン川を経由して大西洋に至るインディアンの交易ルートに沿って設立された。このルートは「オナイダ・キャリーイング・プレース」、あるいは、シックスネーションズ(イロコイ族、ハウデノソーニー)の言語で「大きな運ぶ場所」を意味する「デオ・ウェイン・スタ」と呼ばれていた。このような名前は東のモホーク川と西のウッド・クリークの間にある陸路を言っており、それはオンタリオ湖に通じていた。それはオンタリオ湖からハドソン川下流まで1,000マイル (1,600 km) 以上ある交易の水路の中で唯一の陸路を通る短い区間であり、現在のオナイダの市域内にある。ハドソン川からモホーク川を遡って来た旅人や交易業者は、季節によって1.7マイル (2.7 km) ないし6マイル (9.6 km) の陸路を、荷物と船を運び、西のオンタリオ湖への行程を続ける必要があった。

七年戦争北アメリカ前線となったフレンチ・インディアン戦争の時、この地域では多くの戦闘があった。イギリスの植民地人はオナイダ・キャリーイング・プレースを守るため、さらに魅力ある毛皮交易をカナダからのフランス人の侵害からまもるために、幾つか小さな砦を建設した。しかし1756年のブル砦の戦いでは、フランス軍正規兵、カナダ人および同盟インディアンの混成軍がイギリス軍を圧倒し、虐殺した。1758年後半、イギリスは地域の守りを強化しようと何度か試みむなしく終わった後で、大部隊を送ってオナイダ・キャリーを確保し、防壁を築いてスタンウィックス砦と名付けた。

イギリスはこの戦争でフランスを破った後で、ミシシッピ川以東の領土を奪った。1768年のスタンウィックス砦条約を締結して、イロコイ族に対してこの地域を保護しようとした。「イギリス人とインディアンの関係史で最悪クラスの条約」とも言われてきた.[5]。また「アパラチア山脈の西に秩序を創り出すためのイギリスによる最後の捨て身の努力」とも言われた[6]。戦後イギリスは砦を放棄し、砦は朽ちて最終的に崩壊し、その部品を開拓者達が使った。1776年、大陸軍アメリカ独立戦争の戦略的な目的で砦の再建を決めた。独立戦争後に再度放棄され、壊された。今日では草や藪に覆われた土の塚が残っているだけである[7]
アメリカ独立戦争とスタンウィックス砦1976年に再建されたスタンウィックス砦(1758年と1776年の構造に基づく)

アメリカ独立戦争が勃発した時、大陸軍がスタンウィックス砦を再占領し、再建、改良した。この設備が1777年のサラトガ方面作戦で重要な役割を果たし、「降伏しない砦」として有名になった。ピーター・ガンスボート大佐の指揮下に、パトリオットの民兵、正規兵および同盟オナイダ族インディアンが1777年8月にイギリス軍による長い包囲戦を跳ね返した。イギリス軍はバリー・セントリージャー将軍が指揮するイギリス兵、ドイツ兵、ロイヤリスト、カナダ兵および幾つかのインディアン部族出身の戦士で構成されていた。イギリス軍はこの包囲戦に失敗したことに加え、その近くのオリスカニーで起きた戦闘、ベニントンサラトガと続いて、北部植民地を奪取しようとしたイギリス軍の協働作戦が潰えた。アメリカ側の成功によりフランスオランダとの同盟が成立した。

イギリス軍は、アメリカ北部のフロンティアとモホーク川バレー全体で起こった流血の戦闘であるスタンウィックス砦で撃退された後、アメリカ人開拓者に対して大きな敗北となったが、特にシックスネーションズの損失が大きかった。オナイダ族の多くがイギリス軍と同盟したモホーク族やセネカ族など4部族と戦ったので、イロコイ連邦は内戦状態となった。

スタンウィックス砦は、アメリカ側からイギリスのロイヤリスト部隊およびその同盟ハウデノソーニー族に対する攻撃の出発点となった。特に1779年のサリバン遠征はイギリスと同盟したイロコイ族の集落に対する見境のない焦土作戦となった。モホーク族の酋長ジョセフ・ブラントやジョン・バトラーが率いたロイヤリスト非正規兵によるチェリーバレー虐殺のような、フロンティアへの攻撃と残虐行為に対して、ジョージ・ワシントンが報復行動を命じたものだった。サリバン遠征では50近いイロコイ族の村と保管食糧を破壊し、その後の冬にインディアンを飢えさせることになった。イロコイ族の多くが逃げ場を求めてカナダに行った。砦は1781年に最終的に放棄された。

1830年、ローム市はスタンウィックス砦の廃墟の上に発展した。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:65 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef