ローマ軍の装備一覧
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古代ローマ軍
紀元前753年 ? 西暦476年

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履歴

古代ローマ軍の個人装備品一覧(Roman military personal equipment)は、古代ローマ軍勢が使用した個人装備(攻城兵器などの集団で使用する物は含まない)を分類した一覧である。時代(王政共和政帝政)や兵種によっての違い、装備品の使用目的などを分類する上の指標としている。

ローマ軍が使用した装備は同時代の中でも優れた物が多く、特に甲冑に関する技術は文明水準の低い蛮族相手に大きな優位を獲得する要因となった[1]。ただし、これは全ての場合でそうであった事を意味しない。時にローマが対峙した敵の中には同等以上の装備を使用する場合もあったし、また研究者の中には「ローマ軍の装備品の品質は必ずしも高くなかった」とする論者もいる[2]

王政ローマ時代から共和政初期までの装備は、先にイタリア半島での覇権を獲得していた古代ギリシャエトルリアの様式を参考にして導入されていた。イタリア半島統一後に相対したケルト人との戦いで新しい戦術の必要性を感じると、古代ギリシャエトルリア式にケルト式の装備を組み込んだ装備品が共和政中期に用いられた。また海軍はポエニ戦争までは小規模な海賊討伐用の艦艇を保有するのみであったが、同戦争からフェニキア式・ヘレニズム式の大型艦艇を導入した。

ローマ軍は独自の新兵器よりも、既に効果が実証されている旧来の装備を活用して戦う事を好んだ。従ってローマ軍の使用する兵器は基本的にオーソドックスなものであり、(軍装や装備品の形状に独特さはあっても)奇抜な装備は用いていない。
概要

帝政後期の軍学者ウェゲティウスは『軍事論』の中でローマ軍重装歩兵が使用していた装備について言及している。同著は帝国が西方領土から東方領土へと軸足を移し始めた時代である為、一部の装備品はラテン語から古代ギリシャ語に言い換えられている。ウェゲティウスはローマ軍の装備について以下の様に述べている[3]:…歩兵(アルマトゥラ)はこれらを身に付けている為、大変に重装備である。頭には兜 (カッシウス)、体には大鎧(カタフラクタ)、脛当て(オクレア)、盾(スクトゥム)、大型の剣(グラディウス・ミノル)、長剣 (スパタ)、何本かの短剣(セミスパティウム)、盾に取り付けられた五本の投げ矢 (ピルムバタ) 、同じく盾に付いた二本の槍(ピルム)、これは投げて使う事もあれば馬上の兵に対して突き刺す事もあった。第一陣はこの様な装備を持った二列の軍勢から編成された。


彼らの後には運搬人(フェレンタリウス、ferentarius)と軽装歩兵(彼らはアウクシリア、補助軍と呼ばれている)が随伴している。軽歩兵は短めの剣(グラディウス)と盾と投げ矢、それに軽装の鎧を身に纏っている。弓兵(サジタリイ)は弓(アルクス)と矢(サジッタ)、兜と大鎧を身につけた。他に投石兵(フンディトル)は小石(ラピス) とスリング(フンダ)を持った。また大型の機械を使って弓を打ち出す兵士もいた[3]

ローマ軍の中核は共和政後期からは重装歩兵となったが、彼らの任務は時代によって変わった。共和政後期から帝政初期はグラディウスとピルムで戦い、投げ槍で敵陣を崩してから白兵戦を挑んだ。しかし帝政中期から後期はむしろピルムで槍衾を作って、騎兵や歩兵を突き崩す事を目的とした[4]
武器類グラディウスプギオスパタピルム
剣類
プギオ(pugio)
詳細は「
プギオ」を参照短剣。中世時代におけるダガーと似たような役割を持っている。護身用の他、軽作業などにも用いられた。長さ18cmから28cmほどの長さと5cm以上の横幅の木葉型(中央部分が一番広く、根元と刃先が細い)の刃を持った短剣で、刃の厚みは3mm程度であった。刃の平らな中込を柄に差し込んで釘で固定されていたが、後に釘は打たれなくなった。柄の形状は時代によって大差はなく、10cm程の細い柄であった。装飾は素朴なものから柄が銀細工で飾られた高級品まで様々な種類があった。
グラディウス(Gladius)
詳細は「グラディウス (武器)」を参照片手剣。ラテン語では刀剣全体の事を「グラディウス」と呼ぶため、正確には「グラディウス・ヒスパニエンシス(Gladius Hispaniensis、イベリアの剣)」を指す。ローマ軍が最も頻繁に、そして長期間に亘って使用した事からローマ時代における剣の代名詞として認識されている。その名が示す通り古代イベリアで特徴的であった剣の形状を、紀元前3世紀頃からそれまでの一般的な形の刀剣に代わって導入したものである。短剣というほどではないものの、短めの刀身と厚い刃が特徴とされている。考古学においてはマインツ型と呼ばれる国境地帯の遺跡から発見されたものと、ポンペイ型と呼ばれる本土で発見された二つの形状で知られている。これらはいずれも初期型の「グラディウス・ヒスパニエンシス」から改良されたものと見られている。
スパタ(Spatha)
詳細は「en:spatha」を参照長剣。「スパタ」もまた帝政後期では刀剣全体を指す用語となったが、此処ではローマ軍が使用した長剣として「スパタ」を指す。西暦1世紀頃から主に騎兵の装備としてスパタと名付けられた長剣が使用される習慣が根付いた。帝政後期には戦術の変化から歩兵部隊もグラディウスからスパタに持ち替える傾向が見られた[5][6]。スパタの中でも短い物は「セミスパタエ(semispathae、半分のスパタ)」と呼ばれたが、これらはグラディウスとは異なり一から短く設計されたものではなく、破損したスパタを修理して活用した結果と見られている[7][8]
槍類
ハスタ(Hasta)
詳細は「en:Hasta (spear)
」を参照長槍。ラテン語で槍全般を指す言葉であり、転じて王政期のファランクス戦術で用いられていた槍衾用の長槍を指す。共和政に入って軍制改革が行われ、軍列制度などが導入される中で槍については投槍(ピルム)による遠距離攻撃が一般的になった。故にローマにおける白兵用の長槍の立場は縮小するが、依然としてトリアリィ(古参隊)などは投槍でない長槍としての「ハスタ」を使い続けた。
ピルム(pilum)
詳細は「ピルム」を参照投槍。投擲用に設計された槍で、ハスタに代わってローマ軍における槍の代表例となった。中程度の長さの棒の先端に太い槍先が取り付けられており、重さは2kgから4kg程度であった。相手を直接殺傷する事が目的ではなく、相手の盾を破壊して使用を困難にする事に力点が置かれている。同様の理由から先端部分は曲がり易い様に設計されており、盾に突き刺されば抜けず、地面に刺されば再利用できない様に工夫が凝らされていた。


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