ローマ法王
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この項目では、カトリック教会の最高指導者について説明しています。教皇のその他の用法については「教皇 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

バチカン市国
教皇
P?pa

在位

第266代教皇
フランシスコ
2013年3月13日より
詳細
初代ペトロ
成立33年
宮殿〈公務〉
バチカン宮殿
〈住居〉
サン・マルタ館
ウェブサイト ⇒vatican.va

称号: 教皇


敬称聖下
ラテン語: Sua Sanctitas)
英語: His Holiness)
ローマ司教(ラテン語: Episcopus Romanus)
キリストの代理人(ラテン語: Vicarius Christi)
使徒のかしら(頭)の継承者(ラテン語: Successor principis apostolorum)
全世界のカトリック教会の統治者(ラテン語: Caput Universalis Ecclesiae)
イタリア半島の首座司教ラテン語: Primas Italiae)
ローマ首都管区の大司教ラテン語: Archiepiscopus et metropolitanus provinciae ecclesiasticae Romanae)
バチカン市国の首長(ラテン語: Princeps sui iuris Civitatis Vaticanae)
神のしもべ(僕)のしもべ(ラテン語: Servus Servorum Dei)

キリスト教

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教皇(きょうこう、ラテン語: P?pa[1]ギリシア語: Π?πα? Papas[2]英語: The Pope)は、キリスト教の最高位聖職者称号[3]

一般的にはカトリック教会ローマ司教にして全世界のカトリック教徒の精神的指導者であるローマ教皇を指す。バチカン市国元首。教皇の地位は「教皇位」、あるいは「教皇座」と呼ばれる。また、教皇の権威のことを「聖座」、「使徒座」ということもある。現在の教皇はフランシスコ(第266代)。

日本語では「ローマ法王」と表記されることも多いが、日本のカトリック教会の中央団体であるカトリック中央協議会は「ローマ教皇」の表記を推奨している(後述)。またカトリックの内部では「教父」の呼称を用いる場合もある。なお、退位した教皇の称号は名誉教皇(名誉法王とも)という。

本項では主にローマ教皇について記述する。その他の教皇については称号の変遷とその他の「教皇」の節を参照。
目次

1 概説

2 称号

3 変遷

4 継承

4.1 選出

4.2 死去

4.3 辞任


5 シンボルと徽章

6 地位と権威

7 政治的役割

8 教皇位をめぐる議論

8.1 カトリック教会内

8.2 カトリック教会外からの異論

8.2.1 正教会からの異論



9 称号の変遷とその他の「教皇」

10 日本語および各国語での呼称

11 その他

12 脚注

13 参考文献

14 関連項目

15 外部リンク

概説

初期のローマ司教たちはペトロの後継者、ペトロの代理者を任じていたが、時代が下って教皇の権威が増すに従って、みずからをもって「イエス・キリストの代理者」と評すようになっていった。「キリストの代理者」という称号が初めて歴史上にあらわれるのは495年で、ローマの司教会議において教皇ゲラシウス1世を指して用いられたものがもっとも初期の例である。これは五大総大司教座(ローマ、アンティオキアエルサレムコンスタンティノープルアレクサンドリア)の中におけるローマ司教位の優位を示すものとして用いられた。

教皇はカトリック教会全体の首長という宗教的な地位のみならず、ローマ市内にある世界最小の独立国家バチカン首長という国家元首たる地位をも担っている。1870年のイタリア半島統一以前には教皇の政治的権威の及ぶ領域はさらに広く、教皇領と呼ばれていた。教皇領の成立の根拠とされた「コンスタンティヌスの寄進状」が偽書であることは15世紀以降広く知られていたが、教皇領そのものはイタリア統一まで存続した。1870年以降、教皇庁とイタリア政府が断絶状態に陥ったため、教皇の政治的位置づけはあやふやであったが1929年に結ばれたラテラノ条約によってようやくイタリア政府との和解を見た。

現在の教皇はアルゼンチン出身のフランシスコ(在位:2013年 - )である。史上初のアメリカ大陸出身の教皇でありイエズス会出身の教皇である。先代の教皇のベネディクト16世(在位:2005年 - 2013年)はドイツ出身であり、先々代の教皇ヨハネ・パウロ2世(在位:1978年 - 2005年)はポーランド出身とイタリア人・イタリア以外の地域の出身の教皇が3代続いている。それ以前の非イタリア人の教皇の先例は、ドイツ人ともオランダ人ともいえるハドリアヌス6世16世紀、非ヨーロッパ出身の先例はシリア出身のグレゴリウス3世まで遡る。
称号

「教皇年鑑」によれば現在、教皇に用いられる公式な称号には以下のようなものがある。

ローマ司教(
ラテン語: Episcopus Romanus)

キリストの代理人(ラテン語: Vicarius Christi)

使徒のかしら(頭)の継承者(ラテン語: Successor principis apostolorum)

全世界のカトリック教会の統治者(ラテン語: Caput Universalis Ecclesiae)

イタリア半島の首座司教ラテン語: Primas Italiae)

ローマ首都管区の大司教ラテン語: Archiepiscopus et metropolitanus provinciae ecclesiasticae Romanae)

バチカン市国の首長(ラテン語: Princeps sui iuris Civitatis Vaticanae)

神のしもべ(僕)のしもべ(ラテン語: Servus Servorum Dei)

バチカン年鑑2006年版からは、ローマ教皇の保持していたタイトル「西方の総大司教」(ラテン語: Patriarcha Occidentis)が「不正確で、歴史的にも時代遅れ」との教皇の指示で削除された。

ラテン語が公式言語である教会法の正文の中では、教皇は「Romanus Pontifex ロマヌス・ポンティフェクス」(ローマ司教)という名であらわされる。「P?pa(パーパ)」という呼び方は教皇に対する非公式な呼び方であり、公式な呼び方をすべてあげるなら「ローマ司教、キリストの代理者、使徒の継承者、全カトリック教会の統治者、イタリア半島の首座司教、ローマ首都管区の大司教、バチカン市国の首長、神のしもべのしもべ」となる。このような長大な正式名称でよばれる機会はほとんどない。

教皇の署名は通常「教皇名○○、PP、○代」という形で行われる。たとえばパウロ6世なら「Paulus PP. VI」である。PPは Papa の略である。また、ローマ時代の最高神祇官から引き継がれた名称である「Pontifex Maximus ポンティフェクス・マクシムス」(最高司祭の意)の略称である「P.M.」あるいは「Pont.Max.」という称号が書き加えられることもある。回勅などの公式文書には正式に「教皇名、カトリック教会の司教 (Episcopus Ecclesiae Catholicae)」と署名される。

文頭にはよく「教皇名、司教にして神のしもべのしもべ (Episcopus Servus Servorum Dei)」という署名が書き込まれる。この形式は大教皇とよばれたグレゴリウス1世にまでさかのぼる古い呼び名である。そのほかの称号として「summus pontifex」、「sanctissimus pater」(至聖なる父)および「beatissimus pater」(もっとも祝福された父)、「sanctissimus dominus noster」(われらがもっとも聖なる君主)などがある。中世においては「dominus apostolicus」(使徒的君主)も使われ、現在でもラテン語の荘厳な連祷の中で、その格変化型である「dominum apostolicum」と呼ばれている。
変遷

初代教会の時代から一貫してローマ司教が教皇という特別な地位を保持したわけではなく、ペトロのローマ到着以降、数世紀をかけて徐々に発達していったということはカトリック教徒も含めて広く受け入れられている。古代のローマはローマ帝国の首都として初代教会の信徒たちにとっても特別な場所であった。しかしそのころのローマ司教の権威と影響力はローマの外へおよぶものではなかった。

ローマのクレメンス96年ごろ、コリントの信徒へあてて書いた手紙にローマ司教の権威に関する言及があり、アンティオキアのイグナティオス105年ごろにローマの信徒へあてて書いた手紙の中でローマ司教の「裁治権」にふれている。この「裁治権」について、ある者はこれこそが古代からローマ司教が特別な権威を持っていたと考えるものと、単に名誉的なもので実際的な権威はなかったというものがいる。

2世紀(189年ごろ)になって、リヨンのエイレナイオスが『異端反駁』3:3:2でローマ教会の首位権について述べている。そこでは「ローマの教会が特別な起源を有し、真に使徒に由来する伝承を保っていることはすべての教会で認められていることである。」この記述は史上初めてローマ教会の特別な地位について明確に述べたものであるが、ギリシャなどの東方地域においてはローマの首位は受け入れられていなかったと考えられる。


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