ローマ哲学
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.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}哲学 > 古代哲学 > ローマ哲学キケロ(前1世紀)- 「ローマ最大の哲学者」と評される[1]アカデメイア派ストア派折衷する立場をとった。哲学用語のラテン語訳を多く考案した[2]マルクス・アウレリウス(2世紀)- 『自省録』を著した哲人皇帝。セネカエピクテトスと並ぶ代表的なストア派哲学者。アウグスティヌス(4-5世紀)- 代表的なキリスト教哲学者。キケロや新プラトン主義を受容し『アカデメイア派論駁』などを著した。ヒュパティア(4-5世紀)- 代表的な女性哲学者。新プラトン主義に属した。

ローマ哲学 (ローマてつがく、: Roman philosophy)[3] すなわち古代ローマにおける哲学は、ギリシア哲学ヘレニズム哲学の諸派を継承または折衷する形でおこなわれた。

言い換えれば、ローマ哲学はギリシアからの「輸入学問」に過ぎず[4]、「ローマ自家製の哲学」は無きに等しかった[2]。また内容についても「独創性を欠いた折衷主義」などの低評価が与えられてきた[4]

しかし20世紀末から、ローマ哲学は徐々に再評価されている[4]。例えばキケロルクレティウスセネカセクストス・エンペイリコスプロティノスらの著作は、ルネサンス期に再発見され、近世哲学の発展を促した。ディオゲネス・ラエルティオスギリシア哲学者列伝』などの主要な学説誌や、最初のプラトン全集アリストテレス全集キリスト教哲学が生まれたのも、ローマ哲学においてだった。哲学用語のラテン語への翻訳は、元来ギリシアのローカルな学問に過ぎなかった哲学が、世界的な学問となる一つの契機になった[4]
特徴
低評価と再評価

旧来の哲学史において、ローマ哲学は「独創性を欠いた折衷主義」「実践の偏重と理論の欠如」「内面に引きこもることによる心の平静の希求[注釈 1]」などのイメージによる低評価が与えられてきた[4]。これらはみな根拠がないわけではないが、実態はより複雑とされる[4]

ローマ哲学に対する低評価は、19世紀ドイツヘーゲル学派哲学史家ツェラーシュベーグラーにより醸成され、ニーチェハイデガーにも受け継がれた[5]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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