ローマ内戦 (350年-353年)
ローマ内戦中
時350年 ? 353年
場所ローマ帝国
結果コンスタンティウス2世の勝利
衝突した勢力
コンスタンティウス2世マグネンティウス
指揮官
コンスタンティウス2世マグネンティウス
350年から353年までのローマ内戦(ローマないせん、英: Roman civil war)は、ローマ皇帝コンスタンティウス2世と帝位簒奪者
マグネンティウスとの戦いである。337年にコンスタンティヌス1世が崩御すると、ローマ帝国はen:Fausta
との間の3人の息子の間で分割された。コンスタンティヌス2世がガリア、ヒスパニア、ブリタンニアを、コンスタンティウス2世が小アジア、アエギュプトゥスを、コンスタンス1世がイタリア、北アフリカ、イリュリクムをそれぞれ受け継いだ。コンスタンティヌス2世は、長男としての年長者、アウグストゥスに対する敬意がないとして兄弟に憤りを露にした。属州の分割に不満を持ち、340年にイタリアを攻めたがコンスタンス1世の軍の待ち伏せにより殺害された。コンスタンス1世は帝国西部の全属州を統治したと推定された。コンスタンス1世は特にローマ軍団に嫌われ、350年に軍の陰謀により打倒され、安全のために逃げている最中に殺害された。軍はマグネンティウスという名の蛮族の士官を新たな西方の皇帝に推戴し、コンスタンティヌス1世のただ一人残った息子のコンスタンティウス2世との紛争に参戦させた。 コンスタンティウス2世は兄弟を殺害した犯人に復讐するために西方に進軍した。マグネンティウスはイリュリクム侵攻を決断し、最初のうちは上手くいったが、351年9月28日、en:Battle of Mursa Major
内戦
参考文献
Kohn, George Childs, 'Dictionary of Wars, Revised Edition', pg 399