ローマ人の物語
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『ローマ人の物語』(ローマじんのものがたり、ラテン語: RES GESTAE POPULI ROMANI[1])は、塩野七生による歴史小説。「なぜローマは普遍帝国を実現できたのか」という視点のもと、ローマ建国から西ローマ帝国の滅亡までを描いている[2]。本書は、歴史書として受容されることも多いが、この点について、複数の歴史学者から批判がなされている[3][4][5]
執筆・刊行

1992年の第1巻から年に1冊執筆することが計画され、実際に年に1冊ずつ新潮社から刊行された[2]。刊行が開始された1992年には塩野はすでに55歳であり、この年から書き始めないと、完結まで体力などが保たないと考えていたという[6]。執筆は各年ともローマで行われ、日本で行う作業の期間は数週間ほどだったという[6]。1年のうち4か月を史料の読解に使い、残りを執筆や編集作業に当てていた[6]

単行本は、2006年12月刊行の15作目で完結している[2]。一方で、2002年からは新潮文庫で文庫化もされ、全43冊が発行されている[7]。文庫版の各巻表紙には、ローマの貨幣の写真があしらわれているが、これは塩野自身が選んでいるという[7]

発行部数は完結前の2006年時点で、既刊の単行本14巻の累計発行部数は約220万部、文庫28冊は約540万部と報道された[2]。また、韓国や台湾など日本国外でも発行されており、特に韓国語版は200万部超のベストセラーとなったという[8]
各巻構成と内容
ローマ人の物語I ローマは一日にして成らず(1992年)
ISBN 4-10-309610-1"ROMA NON UNO DIE AEDIFICATA EST"王政ローマの建国からイタリア半島統一までを描く。

ハンニバル戦記 ローマ人の物語II(1993年) ISBN 4-10-309611-X"BELLUM HANNIBALICUM"ポエニ戦争カルタゴ滅亡まで。ハンニバルスキピオ・アフリカヌス

勝者の混迷 ローマ人の物語III(1994年) ISBN 4-10-309612-8"BELLORUM CIVILIUM"グラックス兄弟マリウススッラポンペイウスの活躍。「内乱の一世紀」前半。

ユリウス・カエサル ルビコン以前 ローマ人の物語IV(1995年) ISBN 4-10-309613-6"C. IULIUS CAESAR ANTE RUBICONEM"カエサルの前半生とガリア戦争

ユリウス・カエサル ルビコン以後 ローマ人の物語V(1996年)ISBN 4-10-309614-4"C. IULIUS CAESAR POST RUBICONEM"ローマ内戦とカエサル暗殺、その死後の内乱と収拾を描く。

パクス・ロマーナ ローマ人の物語VI(1997年) ISBN 4-10-309615-2"PAX ROMANA"ローマを帝政に移行させた初代皇帝アウグストゥスが、パクス・ロマーナの実現を進める過程。

悪名高き皇帝たち ローマ人の物語VII(1998年) ISBN 4-10-309616-0"IMPERATORES MALAE FAMAE"アウグストゥスに続くユリウス=クラウディウス朝の4皇帝(ティベリウスカリグラクラウディウスネロ)の功罪。

危機と克服 ローマ人の物語VIII(1999年) ISBN 4-10-309617-9"CRISIS ET AB EA EXITUS"ユリウス=クラウディウス朝断絶後の帝国の混乱フラウィウス朝の成立、五賢帝の1人目ネルウァまで。

賢帝の世紀 ローマ人の物語IX(2000年) ISBN 4-10-309618-7"SAECULUM AUREUM"五賢帝のうちトライアヌスハドリアヌスアントニヌス・ピウスの3皇帝の時代。

すべての道はローマに通ず ローマ人の物語X(2001年) ISBN 4-10-309619-5"OMNIAE VIAE QUAE AD ROMAM DUXERUNT"ローマのインフラストラクチャーをテーマとした巻。

終わりの始まり ローマ人の物語XI(2002年) ISBN 4-10-309620-9"FINIS PRINCIPIUM"哲人皇帝マルクス・アウレリウスの治世。五賢帝以後のローマと内乱セプティミウス・セウェルスの時代。

迷走する帝国 ローマ人の物語XII(2003年) ISBN 4-10-309621-7"TERTII SAECULI CRISIS"セウェルス朝後半から軍人皇帝時代のローマ帝国、いわゆる「3世紀の危機」の時代。

最後の努力 ローマ人の物語XIII(2004年) ISBN 4-10-309622-5"DE ULTIMIS LABORIBUS"ディオクレティアヌスコンスタンティヌスの時代。テトラルキアの成立と終焉。

キリストの勝利 ローマ人の物語XIV(2005年) ISBN 4-10-309623-3"DE CHRISTI VICTORIA"コンスタンティウスユリアヌスの時代からテオドシウスの時代まで。

ローマ世界の終焉 ローマ人の物語XV(2006年) ISBN 4-10-309624-1"ROMANI MUNDI FINIS"ローマ帝国の東西分裂と西ローマ帝国の滅亡、ユスティニアヌスの再征服による荒廃。

批判

作者の塩野自身は本作品について「いろいろと調べた結果の歴史事実を」書いたものだと主張している[9]。『ローマ人の物語』は、書店や図書館などでは小説ではなく歴史書として配置され、また学生や市民講座の受講者のあいだでも歴史書として受容されている[4]。2011年に人事院が作成した「若手行政官への推薦図書」においては、「歴史・伝記」に属するものとして本作が推薦された[10]

一方で、『ローマ人の物語』が歴史小説ではなく歴史書として読まれる傾向があることに、複数の歴史学者が懸念を示している。

古代ローマ史研究者の石川勝二は、『ローマ人の物語』の第1巻が刊行された当初に、同書を俎上に上げてその内容を詳細に検討している[3]。石川は、ローマ全史を一人で叙述しようという試みを「壮大」なものであるとして評価しつつ、ローマ成功の原因を探ろうとする塩野の姿勢に共感を示す。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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