ローマ・ラ・サピエンツァ大学
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ローマ・サピエンツァ大学Sapienza ? Universita di Roma

ラテン語: Studium Urbis
種別国公立大学
設立年1303年
学生総数18,846
所在地 イタリア
ラツィオ州ローマ県ローマ
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校内の中心に建てられているミネルウァの像大学の聖堂(フランチェスコ・ボッロミーニ設計)


ローマ・サピエンツァ大学(Sapienza ? Universita di Roma)は、イタリア共和国国公立大学で、首都ローマに位置する。イタリアのみならず欧州でも屈指の歴史を持ち、その起源は中世時代の1303年にまで遡る事ができる。現在の学生数は11万8655名に達し[1]、21の学部を持つ西ヨーロッパで最大規模の大学である。

簡潔に「ローマ大学」と呼ばれる場合もあるが、ローマ市内には第二次世界大戦後に設立された二つの国公立大学(ローマ・トル・ヴェルガータ大学、ローマ・トレ大学)が存在する為、「ローマ大学のサピエンツァ校(サピエンツァは英語のwisdomと同義)」を意味するローマ・ラ・サピエンツァの別名で呼称されている。また三校を纏めてローマ第一大学(サピエンツァ)、ローマ第二大学(トル・ヴェルガータ)、ローマ第三大学(トレ)と呼ぶ場合もある。
歴史

1303年4月20日ローマ教皇ボニファティウス8世は、聖職者養成の為の教育機関の設立を宣言する教皇勅書「イン・スプレマ・プラエミネンティア・ディグニタティス」(In supremae praeminentia dignitatis)を発した。勅書に基いて同年中に「Studium Urbis」と名付けられた神学校がローマ市内に設立され、後にこの神学校がローマ・ラ・サピエンツァ大学の前身となった。1431年、エウゲニウス4世によってパラッツォ・サピエンツァに再建された。

1870年、イタリア王国が教皇領を廃止してフィレンツェからローマに遷都すると、教皇庁管轄の大学からイタリアの国公立大学へと移管された。1935年、ベニート・ムッソリーニ政権のファシスト体制下に現在のキャンパスに移された。これまでにノーベル賞受賞者を含め、数多くの著名人を輩出している。
評価

2023年QS世界大学ランキングにおいて、世界第134位。欧州大学部門で第4位。歴史、哲学、文学は世界第41位(東京大学は世界第42位で近い)。とりわけ古代史学では世界第1位、考古学は世界第11位、古代史研究分野において世界屈指の大学である。美術史学は世界第17位。物理学・天文学は世界第35位。法学・政治学は世界第43位。2020年のCWTS Leiden Rankingでは、世界第81位だった。2023年のTHE世界大学ランキングでは、世界第181位だった。歴史、哲学、文学は、ジョンズ・ホプキンス大学ら(世界第41位)と同列で、世界第43位。2020年の世界大学学術ランキングでは、世界第151?200位だった。2021年のUSニューズ&ワールド・レポートのランキングでは、世界第114位だった。現在、3代にわたってイタリア共和国首相を輩出しており、イタリアの政財界の支配階層に同大学の卒業生が非常に多い。バルコニー
所属組織

地中海大学連合
(英語版)

サンタンデル大学ネットワーク(英語版)

ヨーロッパ首都圏大学連合(英語版)

著名な関係者
出身者

チェーザレ・ボルジア(貴族、枢機卿)

エミリオ・セグレ(物理学者、ノーベル物理学賞受賞)

ニコラ・カビボ(物理学者、CKM行列を発見)

ヴィト・ヴォルテラ(数学者、ロトカ=ヴォルテラの方程式を発見)

セルジョ・マッタレッラ(イタリア共和国12代大統領)


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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