ローマの七丘(ローマのしちきゅう、ラテン語: Septem Montes Romae、イタリア語: Sette colli di Roma)とは、ローマの市街中心部からテヴェレ川東に位置する、古代ローマ時代の七つの丘のことで、都市ローマの基礎を形作った。
日本語ではイタリア語読みと、ラテン語読み(古代ローマ史で)が併用されている。
前6世紀の初めまでにこれら7つの丘の集落が合体して都市(ウルプス、ポリス)を形成したと言われている[1]。テヴェレ川と七丘に守られた地域が古代ローマの中心地になり、パラーティーヌスの丘の北に、ローマの政治・経済の中心となる広場フォルム・ローマーヌムが築かれた[2]。前4世紀初めには七丘を囲むようにセルウィウス城壁が築かれた。
また、「ローマの七丘」以外に「初期ローマの七丘」や「現代のローマの七丘」という区分けも存在する。以下の地図および一覧を参照のこと。アウェンティヌスカピトリヌスカエリウスエスクイリヌスパラティヌスクイリナリスウィミナリス
(ウェリア)(キスピウス)(パラティウム)(キスピウス)(ファグタル)
(カンプス・マルティウス)(ティベリーナ島)(スブッラ)
紀元前31年のローマの地図上に示した、ローマの七丘
およびその他の主要地形の名称。都市を囲む黒点線はセルウィウス城壁