ローベルト・ムシル
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ローベルト・ムージル (Robert Musil、1880年11月6日 - 1942年4月15日)は、オーストリア小説家
目次

1 生涯

2 主な著作

3 主な邦訳

4 参考資料、外部リンク

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生涯

父アルフレートは1846年ハンガリーバナート地方のテメシュヴァールに生まれ、後にグラーツに移住した。母ヘルミーネ・ベルガウアー Hermine Bergauer はオーバー・エースターライヒ州出身である。

元々チェコから移住した家系の為、ムシル、ムジール等様々に発音され、日本の邦訳や研究でもいくつかの異なった表記が行われているが、近年はおおむねドイツ語読みのムージルで定着していると言ってよい(本来のチェコ語の発音ではムシルである)。 ケルンテン州クラーゲンフルトで生まれたムージルは、当初軍人を目指し、シュタイアの実科ギムナージウム、アイゼンシュタットの陸軍初等実科学校、メーリッシュ・ヴァイスキルヒェン(チェコのフラニツェ・ナ・モラヴィェ)の陸軍上級実科学校に学んだが、機械工学の道に転じてブリュン工科大学に入学。その後再び哲学に転じると、ベルリン大学エルンスト・マッハ研究で博士号を取得する(1908年)。しかし結局、処女作『士官候補生テルレスの惑い』(1906)で踏み出していた作家としての道を選ぶ。

その後短編集『合一』(1911)、『三人の女』(1924)、『生前の遺稿集』(1935)などを発表、客観的で透徹した認識を保ちながら、理性や言語を超えた神秘的とも言える世界を追求する。

ムージルの名を世界的なものにしたのは、唯一の長編にして未完の大作『特性のない男』である。第一次世界大戦直前のウィーンを舞台にしたこの小説の執筆中、1931年に再びベルリンに移るものの、1933年ナチスの政権奪取後はウィーンに戻り、1938年にはスイスに亡命、この時彼の書物は発禁処分を受ける。最後はジュネーヴでこの大作の完成に心血を注ぐが、1942年シャワー室の中で脳卒中のため急死した。
主な著作

士官候補生テルレスの惑い(Die Verwirrungen des Zoglings Torles,1906)

合一(Vereinigungen,1911)

夢想家たち(Die Schwarmer,1921)……
戯曲である。

三人の女(Drei Frauen,1924)

生前の遺稿集(Nachlas zu Lebzeiten,1935) ※「黒つぐみ」はここに含まれる

特性のない男(Der Mann ohne Eigenschaften)

第1巻 (第1部および第2部)(1930)

第2巻 (第3部途中まで)(1932)


主な邦訳

ムージル著作集(全9巻)、松籟社

第1-6巻:特性のない男、加藤二郎


第7巻:小説集

第8巻:熱狂家たち/生前の遺稿

第9巻:日記/エッセイ/書簡


三人の女・黒つぐみ、岩波文庫川村二郎

愛の完成・静かなヴェロニカの誘惑、岩波文庫、古井由吉

ムージル日記、法政大学出版局円子修平

ムージル書簡集、国書刊行会、円子修平訳

ムージル・エッセンス 魂と厳密性――ローベルト・ムージル エッセイ選集、中央大学出版部 ISBN 4805751509


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