ローバー_(自動車)
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Rover Company

業種自動車産業
vehicle construction 
設立1896年6月13日 
創業者ジョン・ケンプ・スターレー 
解散1967年 
本社コヴェントリー 

ローバー(Rover)は、かつて存在したイギリス自動車メーカー、自動車ブランドである。

1901年にローバー社 (Rover Company) が自動車の生産を始めて以来、イギリスを代表する自動車会社/自動車ブランドとして存在していたが、2005年をもって、その名前を冠する自動車会社や自動車モデルは消滅した。ローバーから派生したブランドとして、現在インドタタ自動車傘下の「ランドローバー」がある。
歴史
自動車生産開始以前

ジョン・ケンプ・スターレーがウイリアム・サットンと1878年に創業した、Starley & Sutton Co. of Coventry がローバー社の前身である。同社は自転車を製作し、1885年には「ローバー安全型自転車」を発売した。これは、前後のタイヤサイズが同じでチェーン後輪を駆動する、今日の形態に近い自転車であった。

1890年代後半には Rover Cycle Company Ltd. となり、1904年にはローバー・カンパニー(Rover Company Ltd.)として、 エンジンを使用したオートバイを発売した。オートバイと自転車の生産は1925年まで行われた。
ローバー・カンパニー(1904年-1967年)

最初期のローバー(1905年) ローバー・10(1936年) ランドローバー・シリーズ1(1948-1958年) ローバー・80P4(1962年) ローバー・3リッターP5(1960年) ローバー2000TCP6(1973年) レンジ・ローバー(1987年) ローバー・3500ヴィテスSD1(1983年) ローバー・416i (1986-89年) ローバー・800(1997年) ローバー・200(1998年)

1904年に誕生した最初のローバー製自動車は2人乗りオープンモデルのローバー・8と呼ばれるモデルであった。経営者としてのスペンサー・ウィルクス (Spencer Bernau Wilks)、エンジニアとしてのモーリス・ウィルクス (Maurice Wilks) という2兄弟がいた。

良好な品質によって市場に受け入れられ、アッパーミドル層向けの中型サルーンを中心に生産していたが、機械メーカーの常として、航空機エンジン[1]戦車などの軍需メーカーとしても発展した。ガスタービンエンジン車の開発も試みられたが、実用化はされなかった。

第二次世界大戦後の1947年には、大戦中に活躍したジープの有用性に感化され、四輪駆動多用途車のランドローバーを開発、発売し、新たな市場を開拓した。乗用車ではP4やP5などが発売され、これらのモデルは英国王室メンバーの私用車や、英国政府閣僚・高級官僚公用車としても用いられた。それらのローバー製乗用車は高品質であり格式も高かった。極めて保守的な設計を志向していたなか、1964年には革新メカニズムを採用したP6が、第1回のヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーを受賞している。
レイランド・モータース傘下(1967年-1968年)

1967年、ローバーはレイランド・モーターズ (Leyland Motors) に買収された。
ブリティッシュ・レイランド傘下(1968年-1986年)詳細は「ブリティッシュ・レイランド」を参照

1968年、当時の親会社、レイランド・モーターズはブリティッシュ・モーター・ホールディングス (BMH) と合併し、「British Leyland Mortor Company」が設立された。同社のもとにはローバーの他、ジャガーデイムラーMGオースチンなど、当時のイギリスの主要自動車メーカーの大部分にあたる10ブランドが存在していた。1970年にはランドローバーの発展形である高級四輪駆動車としてレンジローバーが発売された。

しかしブリティッシュ・レイランドでは労働争議の多発を背景に生産が停滞したばかりでなく、ローバーのような高級車種も含む多くのモデルの品質が甚だしく悪化し、市場からの支持を急速に失った。1975年破産寸前となった同社は半国営化され、持ち株会社「British Leyland Mortor Corporation Ltd. (BLMC)」のもとに再組織された。

1976年に発売されたローバー・SD1は、斬新なデザインを備えたアッパーミドルセダンで、ヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーを受賞したが、車格に見合う品質が伴わず、商業的には失敗作となった。1978年持ち株会社は「BL社 (BL Ltd.)」と改称した。
ホンダとの提携

品質の不良などによりBL社の販売は低迷、1979年、同社は日本の本田技研工業(ホンダ)との提携を行った。資本提携として、ホンダがBL社株の20 %を取得し、BL社はホンダ英国子会社株の20 %を取得した。1981年には、BL社のトライアンフブランドから、ホンダ・バラードの現地生産車がトライアンフ・アクレイムとして発売されている。
オースチンローバーグループ詳細は「オースチン・ローバー・グループ」を参照

1982年、BL社内の大衆車部門として、オースチン・ローバー・グループ社が組織された。ホンダとの提携は依然として継続され、ホンダ・バラードをベースとした初代ローバー・200が誕生した。また、オーストラリアではバッジエンジニアリングによって、ホンダ・クイントがローバー・クイント、ホンダ・クイントインテグラがローバー・416iとして販売された。
ローバーグループ(1986年-2000年)詳細は「ローバー・グループ」を参照


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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