ローバー・V8エンジン
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3.5 L ローバー・V8エンジン(1986)

ローバー・V8エンジン(Rover V8 engine)は、V型8気筒ガソリンエンジンである。アルミニウム製のシリンダーヘッドシリンダーブロックを持つ。ゼネラルモーターズによりオリジナルが設計され、後にイギリスローバーにより再設計された[1]。数十年にわたりローバーおよび他のメーカの幅広い自動車に搭載された。

エンジンマネジメントシステムは主にルーカス・14CUXおよび後にOBD2に準拠したGEMSが組み合わされた。
歴史

ローバー・V8エンジンは1961年にビュイック・215エンジンとして誕生した。コンパクトなアルミニウムエンジンは114kg(318lb)と軽量かつ高出力であり、ビュイックの最もパワフルなバージョンで149kW(200ps)、オールズモビルターボバージョンで160kW(215ps)に達した(双方ともグロス表示)。発表された販売台数からすると、このエンジンは成功であったといえる。ビュイックはこのエンジンを搭載した車をわずか3年で376,799台販売した。オールズモビル・215エンジンも匹敵する数が生産された。さらに、いくつかのポンティアックモデルにもビュイック・215エンジンは搭載され、BOP・215エンジン(Buick/Oldsmobile/Pontiac)と呼ばれた。しかしアルミニウムエンジンは相対的に高価であり、オイルやクーラントのシールの問題や、不凍液とアルミニウムの相性によるラジエターの目詰まりの問題も発生した。結果、ゼネラルモーターズは1963年以降のすべてのアルミエンジンの生産を中止したが、ビュイックは同様の鉄製バージョンのエンジンを1980年まで生産し、そこから派生したV型6気筒エンジンは2008年まで生産され、非常に長く成功したエンジンだといえる。

1964年1月、ローバーはアメリカの責任者であるJ・ブルース・マクウィリアムズにローバー車のためのアメリカのV8エンジンの購入の可能性を調査する許可を与えた。この話は一般には、マクウィリアムズがマーキュリー・マリーンにローバーのガスタービンエンジンとディーゼルエンジンの販売の営業をしていた時にビュイック・V8エンジンを最初に見たといわれている。(実際マーキュリー・マリーンはランドローバーのディーゼルエンジンを使っていた)。しかしマクウィリアムズがそれ以前にビュイックエンジンを知らなかったとは考えにくい。いずれにしても、マクウィリアムズは軽量なビュイックV8エンジンが英国車に理想的なエンジンであると気がついた。(多くの直列4気筒エンジンより軽量であり、実際にそれらをリプレースした)。マクウィリアムズとウィリアム・マーティン・ホーストはゼネラルモーターズに対し、エンジンを売るよう積極的な営業を開始し、最終的に1965年1月に合意に達した。退職したビュイックのエンジニアである ジョー・ターリーがイギリスにコンサルタントとして移籍した。

ローバー車だけでなく、このエンジンはローバーから小さなカービルダーに提供され、幅広い車に搭載された。ローバーV8エンジンはモーガンTVRトライアンフ、ランドローバー、MG、その他多くのモデルに搭載された。イギリス車で最初にこのエンジンが搭載されたのはワーウィックであり、ビュイックから直接購入されワーウィック・305GTに搭載された[2]。軽量かつ高出力のため軽飛行機にも搭載された。

ローバーV8エンジンはアメリカに置けるシボレー・スモールブロックV8エンジンと同様、イギリスでは長い間ホットロッド向けのエンジンとして標準的なエンジンである。アメリカにおいてもMG・MGBやシボレー・ベガのような小型スポーツカーのためにビュイックもしくはローバー・V8エンジンを採用するビルダーもいる。(1964年に登場したビュイックの4,900cc(300cid)鉄ブロックエンジンに搭載されていたアルミニウム製のシリンダーヘッドとロングストローク用のクランクシャフトは、小さな変更によりビュイック・215エンジンやローバー・V8エンジンのシリンダーブロックに搭載でき、高出力かつとても軽いV8エンジンになる)。(300用のクランクシャフトを215のブロックに搭載すると4,300cc(260cid)となる)。

2005年のMGローバーの倒産により、40年にわたるローバー・V8エンジンという名前の終焉となった。最後の本物のローバー・V8エンジンはローバー・SD1に搭載され、それは後にホンダV6エンジンを搭載したローバー・827に置き換えられた。BMWによりフォードに売却されるまでローバー・V8エンジンはランドローバーの元に残った。ランドローバーはエンジンの生産を継続望み、製造会社であるMCTのもとウェストンスーパーメアで生産が再開された。ランドローバーはジャガー・AJ-V8エンジンに切り替えているが、MCTはアフターマーケット及び交換使用のためにエンジンを供給し続けている[3]

ビュイックの設計に基づいたローバー・V8エンジンはローバーにとって最初のV8エンジンではないこともまた興味深い。当時のローバーはガスタービンエンジンの開発との技術的違いを抱えており、ウィルクスはロールス・ロイスと技術交換の契約を結んだ。ガスタービンエンジンのプロジェクトはロールス・ロイスの物となり、ローバーはセンチュリオン戦車に搭載されたV型12気筒のミーティアエンジンの生産を引き継いだ。このエンジンのバリエーションとして18.02 L(1,100cu in)の総排気量のローバー・ミーティアライトエンジン(ロール・スロイス ミーティアライトエンジンとも呼ばれる)が開発された。V12のミーティアエンジンの三分の二の構成であり、ミーティアエンジンと同様の60度のバンク角を持つ。ミーティアライトエンジンは車両用、船舶用および発電用として使われた。
レース

アルミニウムブロックが採用されたこのエンジンは最も軽量なV8エンジンの1つであり、レースで使われるのは当然であった。ミッキー・トンプソンは1962年のインディー500でこのエンジンが搭載された車に乗った。1946年から1962年の間はインディー500には単一銘柄のエンジンは導入されていなかった。1962年当時、ビュイック・215エンジンは33台のなかで唯一オッフェンハウザー(ハリー・ミラー原設計のDOHCエンジンで、1920年代から40年もの長期、インディーを席巻した)製ではないエンジンだった。ルーキードライバーであるダン・ガーニーは予選を8位で通過し、トランスミッションの問題でリタイアするまで92ラップを走った。

オーストラリアのレプコがこのエンジンをF1用に改造した。総排気量を3,000cc(?183cu i)にするためにストロークを61mm(2.4in)に短縮し、OHVからSOHCに変更した。コンロッドはダイムラーの2548cc V8エンジンの物を流用した。レプコを搭載したブラバムは1966年と1967年の2回のF1チャンピオンシップを獲得した[4]。1968年のシーズンでは、レプコエンジンは新しい4バルブDOHCを搭載した。これによりフォード・コスワース・DFVエンジンと同等のパワーを得たが、それはシリンダーブロックにとって限界を超えており、多くの場面で故障した。レプコはまたローバー・V8エンジンを4.2L(?256 cu i)にする実験を行い、大きな振動の問題があったにもかかわらずそれは成功している[5]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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