ローズ・パレード
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2017

ローズ・パレード (Rose Parade) (伝統的名称トーナメント・オブ・ローズィズ・パレード (Tournament of Roses Parade)、スポンサー名のついた名称ローズ・パレード・プレゼンテッド・バイ・ホンダ (Rose Parade presented by Honda)) は、アメリカ合衆国カリフォルニア州パサデナで毎年行なわれるパレード。新年祝賀行事の1つとして、元日(元日が日曜日の年は翌1月2日月曜日)に行なわれるカレッジフットボールローズボウルの前にパレードする。花で装飾されたフロート車マーチングバンドなどが登場する。非営利団体Pasadena Tournament of Roses がプロデュースする。

1890年1月1日に開始され、何十万もの人々が沿道で観覧し[1]、全米でテレビ放送されている。世界中200カ国以上で何百万もの人々が視聴しているとされる[2]。1902年、カレッジフットボールのローズボウルが追加され、パレードの資金集めがより容易になった。

2011年より公式名称が「ローズ・パレード・プレゼンテッド・バイ・ホンダ」となった[3]。そのためホンダのフロート車が先頭となり、毎年テーマに沿ったフロート車が後続する。
歴史トーナメント・ハウス

1890年、パサデナのヴァレー・ハント・クラブのメンバーがパレードの先頭を切った。それ以降パサデナで、1月1日が日曜の年以外は毎年元日にパレードが行なわれている。1893年、元日が日曜の場合は翌1月2日月曜日に行なわれることに制定された。地元では「試合の勝敗は神のみぞ知る。そのため安息日である日曜にパレードを行なうべきではない。また神はローズ・パレードに雨を降らせない」と言い伝えられている。しかしパレード協会ホームページによると、日曜にパレードを行なわないのは「日曜礼拝中の教会の外に繋がれている馬を驚かせ、礼拝の邪魔をしないため」とされている。以降、日曜にパレードが行なわれたことはない。またカレッジフットボールのローズボウルも日曜に行なわれるNFLとの競合を避けるために日曜に行なわれない。NHLウィンター・クラシックなど、1月1日に行なわれるスポーツは通常このルールを適用している。

ヴァレー・ハント・クラブのメンバーの多くはアメリカ合衆国東部およびアメリカ合衆国中西部の出身であった。彼らはカリフォルニア州の冬季中盤の気候の中でパレードが行なわれることを希望した。会議でチャールズ・フレデリック・ホルダー教授は「ニューヨークでは人々は雪の中にこもっている。ここでは花が咲き、オレンジが実ろうとしている。私たちの楽園を世界中に伝えるために祭を開催しよう」と語った。

そしてヴァレー・ハント・クラブは花で装飾された馬車のパレードを行ない、続いて徒競走ポロ綱引きなどが行なわれ、約2,000名の観客が集まった。花で覆われたスコアボードから、教授は「Tournament of Roses (トーナメント・オブ・ローズィズ)」と名付けることを提案した。

数年後、マーチングバンドや自動車によるフロート車が追加された。1895年までにヴァレー・ハント・クラブには手に負えないほどパレードの規模は拡大し、Pasadena Tournament of Roses が組織された。世界的に有名な高等教育機関カリフォルニア工科大学に接続する、1900年の第11回までこれらが行なわれていた広大な場所はTournament Park と名付けられた。その後パレード後の競技にはダチョウ・レース、ブロンコの荒馬乗り、ラクダのレースなどが追加された。ちなみに象が勝った。パレードの沿道には観客席が建てられ、アメリカ合衆国東海岸の新聞はこのイベントの告知をするようになった。

ウィリアム・リグレー・ジュニア・カンパニー創立者であるウィリアム・リグリー・ジュニアのイタリアン・ルネッサンス様式の荘厳な大邸宅が、1958年のリグリー夫人の没後、ローズ・パレードの本部とするよう要請された。この建物は「トーナメント・ハウス」と名付けられた[4]

1902年1月1日、フットボールとの提携が初めて行なわれた。当初「Tournament East-West football game 」(フットボール東西戦、の意)と名付けられていたが、実質的に第1回ローズボウルとされる。しかし第2回は1916年まで行なわれず、以降毎年行なわれるようになった。1923年にローズボウルという名の競技場が建てられてから、競技名も「ローズボウル」となった。

ローズボウルがBCSナショナル・チャンピオンシップ・ゲームとなった2002年と2006年は試合はパレードと同日ではなく、2002年は1月2日、2006年は1月4日に行なわれた。しかしローズボウルの雰囲気や伝統が損なわれたことにより、多くのファンはこれを歓迎しなかった。現在ローズボウルとBCSは別物となり、2010年と2014年はタイトル・ゲームがパサデナで行なわれたが、以降は日程に影響は出ない。
パレードパレード直前のコロラド通り

数十年、パレードはパサデナの主要幹線道路であり、元国道66号線の一部であるコロラド通りを通過している。パレード前日、数多くのフロート車、バンド、馬関連、その他装置のため、オレンジ・グローヴとコロラド通りの交差点南側の近隣の通りは通行止めとなる。この地域は「フォーメーション・エリア」と呼ばれ、フォーメーション・エリア委員会により管理される。

パレード当日朝、多くの装置がトーナメント・ハウス前に集合する。パレードはグリーン通りを出発し、オレンジ・グローヴ通り南を北に向けて進む。コロラド通りではメインの特別観覧席および報道席を通り、東へ進む。シエラ・マドレ通りを北に曲がる。その後フロート車はシエラ・マドレ通りと州間高速道路210号線の陸橋下を通らねばならず、フロート車には高さに制限がある。ヴィクトリー・パークとパサデナ高等学校近くのパロマ通りでパレードは終了する。フロート車はパレード後の午後および翌日に公開される展示広場まで移動を続ける。 パレードの全長は5.5 miles (8.9 km) で、約2時間をかけて進む。
近年のパレード

2009年のパレードでは、ジャック・イン・ザ・ボックスのJack-O-Licious 、ミッションビエホのMaking a Splash 、RFD-TV のHee Haw 、ローズビルのEntertaining Dreams for a Century などが新たに出演し、計46台のフロート車が出演した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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