ローズマリー・サトクリフ
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ローズマリー・サトクリフ(Rosemary Sutcliff、1920年12月14日 - 1992年7月23日)は、イギリス歴史小説ファンタジー小説家。20世紀イギリスを代表する児童文学作家、歴史小説家と評される[1][2]。足に障害があり、生涯を通して病と闘い車椅子で生活した[3]

1950年にプロ作家としてデビューした。作品は綿密な時代考証に基づいており、若者の成長と友情をテーマにしたものが多い[4]。作品には作者と同じく傷や障害のある人物が多く登場する[2]。代表作は、ローマ帝国支配下にあったブリテン島の歴史を踏まえて書かれた児童向け歴史小説『第九軍団のワシ』(The Eagle of the Ninth、1954年)、『銀の枝』(The Silver Branch、1957年)、『ともしびをかかげて』(The Lantern Bearers、1959年。カーネギー賞受賞)の「ローマン・ブリテン3部作」で、イギリスだけでなく世界中で読まれている[4]。子児童向け歴史小説が多いが、大人向けの作品も書いている。作品には、ケルト神話ギリシア神話を元にしたもの、ケルトの民族やイングランド地方の話などが多い。

2011年には、『第九軍団のワシ』がケヴィン・マクドナルド監督によって映画化された[2]
経歴

イギリスのサリーにある海軍将校の家に生まれた[1]。2歳の時にかかったスティル病という進行性の若年性関節リウマチが元で歩行障害をきたし、通院、手術入院を繰り返しながら、主に車椅子で暮らすようになった[2]。生涯病と闘い、車いすで生活した。幼いころは、病床で母の読む小説や神話をよく聞いていたという[2]。自伝によると、ポターミルンディケンズスティーヴンソンアンデルセンケネス・グレアムなどに影響を受けた[2]。特にラドヤード・キップリング『プークが丘のパック』(1906年)のローマ時代の物語が、『第九軍団のワシ』執筆に繋がっていると述べている[2]

幼いころから美術の才能があった。個人経営の学校に通ったが[2]、14歳の時に学業を離れ、画家を志して1935年にビドフォード美術学校に進んだ。20代の初めには、軍隊に勤務する青年たちを描いたりする細密画家となった[1]。細密画家であることに苦痛を感じるようになり、より広い世界での自己表現を求めて、手近にある紙に子供向け歴史小説語をつづり始めた。(これについては彼女自身が、自叙伝『思い出の青い丘』の中で、本当は油絵の画家になりたかったが体が不自由なために思い叶わず、細密画家としての技量は優れておりプロにはなったものの、どこかで不満を感じていたのだと説明している)

そうして書いた作品は偶然、オックスフォード大学出版局に渡った。送られた原稿そのものは日の目を見なかったが、出版局から来た手紙の誘いに応じてサトクリフは『ロビンフッドの物語』(Chronicles of Robin Hood)を書き、処女作となった『エリザベス女王物語』(The Queen Elizabeth Story)と同じ1950年に出版され、30歳で作家デビューした。サトクリフは、結婚を考えた恋人と破局したことで傷つき、それによりアマチュアからプロの作家に成長できたと考えている。この頃の作品に、『第九軍団のワシ』(1954年)、『ケルトとローマの息子』(Outcast、1955年)などがあり、1959年には、『ともしびをかかげて』(The Lantern Bearers)を書き上げ、同作で優れた児童文学に贈られるカーネギー賞を受賞した[1]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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