『ロークラインの悲劇』(ロークラインのひげき、Locrine)は、イングランドとTroynovant(現ロンドン)を創設した伝説的トロイ人を描いたエリザベス朝の戯曲。イギリス・ルネサンス演劇の研究者にとって複雑かつ解決困難な問題を多く含んでいる。 『ロークラインの悲劇』は、1594年7月20日に書籍出版業組合の記録に登録され、1595年に「四折版」が出版された。印刷はトマス・クリード 1595年の四折版の表紙に、「W.S.によって新たに述べられ、監修・校正された」という宣伝文が書かれている。この「W.S.」というイニシャルを、Philip Chetwinde
創作年代
作者
1595年の四折判の写しの中に手書きのメモが見つかった。1609年から1622年までジェームズ1世の下で祝典局長(Master of the Revels)を勤めたジョージ・バック(George Buck)が書いたもので、内容は以下の通りである。Char. Tilney wrot[e a]Tragedy of this mattr [which]hee named Estrild: [which]I think is this. it was [lost?]by his death. & now s[ome]fellow hath published [it.]I made du[m]be shewes for it.w[hi]ch I yet haue. G. B.
「Char. TilneyはEstrildと名付けたこの題材の悲劇を書いた。私が思うのはこれだ。彼の死で(失われた?)ものを今(誰か)仲間が(これを)出版した。私はそれを黙っておこう。私はまだ持っておく。--G.B.」
(メモは右端に沿って切られていて、いくつかの語が不明瞭である)[5][6]。このメモが信頼に足るものかについては議論があった。サミュエル・A・タンネンバウム(Samuel A. Tannenbaum)は、おそらくジョン・ペイン・コリア(John Payne Collier)による、メモは捏造であるとする説に固執した。しかし、他の注釈者たちはこのメモが本物であることを認めている。もしチャールズ・ティルニー(Charles Tilney)が書いたのなら、この劇はティルニーがバビントン陰謀事件(Babington Plot)に加わって処刑された1586年以前に書かれたものでなければならない。しかし、チャールズ・ティルニーが(このメモに書かれてあるものは別として)何か戯曲を書いたという証拠はどこにもない。 『ロークラインの悲劇』のテーマは伝説上のブリテン建国偽史である。ウェルギリウスが『アエネイス』の中でトロイからの亡命者が古代ローマを創設したとしたように、トロイからの別の亡命者の一団がブリテン王国を創設したとする、中世のジェフリー・オブ・モンマスの偽史を、後にウィリアム・キャクストンやラファエル・ホリンシェッドが翻案した。『ロークラインの悲劇』はその架空の神話をブリトン人よりもイングランド人に焦点を当て、創設者をロークライン(ジェフリー・オブ・モンマスの『ブリタニア列王史』に出てくるLocrinus
材源と影響
セネカの復讐悲劇も『ロークラインの悲劇』に大きな影響を与えている。さらに前述のスペンサーとロッジの詩に加えて、評論家たちはクリストファー・マーロウ、トマス・キッド(Thomas Kyd)、ロバート・グリーン、ジョージ・ピールによる同時代の戯曲との関連も指摘している。同時代の劇との関連は、影響があった証拠、あるいは同じ作家であった証拠と、さまざまな解釈が可能であり、実際にそう解釈されてきた[8][9]。 『ロークラインの悲劇』は同時代の作者不詳の劇『Selimus』(1594年初版)と複雑な相互関係を持っている。二つの劇の共通性は筋の要素の類似、言語表現と韻律構造の共有性を含んでいる[10]。
『ロークライン』と『Selimus』