ロヴィニ
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ロヴィニ
Rovinj

ロヴィニ旧市街


市旗

位置

イストリア半島の地図、ロヴィニは半島西岸にある
位置
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}ロヴィニ (クロアチア)
座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯45度05分 東経13度38分 / 北緯45.083度 東経13.633度 / 45.083; 13.633
行政
クロアチア
 イストラ郡
 市ロヴィニ
市長Giovanni Sponza
地理
面積 
  市域88 km2
標高0 m
人口
人口(2007年現在)
  市域13,562人
    人口密度  180人/km2
その他
等時帯中央ヨーロッパ時間 (UTC+1)
夏時間中央ヨーロッパ夏時間 (UTC+2)
郵便番号52 210
市外局番052
公式ウェブサイト : ⇒http://www.rovinj.hr/

ロヴィニ (クロアチア語:Rovinj、イタリア語:Rovigno)は、クロアチアの都市。イストリア半島西岸に位置する観光地であり、漁港である。イタリア人共同体があり、市内ではイタリア語がクロアチア語とともに公用語となっている。さらに、かつて半島中で話されていたロマンス語系言語のイストリア語(イストリオット語)が住民の一部によっていまだ話されている。
地理

ロヴィニは、イストラ郡にある9つの町の1つである。気候は地中海性気候で、1月の平均気温は4.8℃、7月の平均気温は22.3℃である。年間平均気温は16℃である。海水温は6月半ばから9月半ばまで20℃以上になる。年間平均海水温は16.6℃である。

5月半ばから9月まで、日照時間は一日10時間以上になる。年間平均降水量は、941mmである。植生は亜熱帯となる。

元々、市のある半島はかつて島で、本土から海峡で切り離されていた。1763年、海峡は埋め立てられた。ロヴィニ沖にある小島群には22の小島がある。
歴史

ロヴィニは、古代ローマが占領する前に既にイリュリア人の定住地があった。ローマ人は町をアルピウヌム(Arupiunum)またはモンス・ルビネウス(Mons Rubineus)、のちにルギニウム(Ruginium)、ルヴィニウム(Ruvinium)と呼んだ。沿岸に近い島に町は建てられ、1763年に海峡を埋め立てて本土とつなげたのである。

ローマの衰退後、東ローマ帝国の一部となり、6世紀にはラヴェンナ総督府の一部となった。788年にはフランク族に支配された。その後数世紀に渡り異なる封建領主の支配を受けた。1209年以降、ロヴィニはアクイレイア大司教座に支配された。

1283年から1797年まで、ロヴィニはヴェネツィア共和国が支配するイストリアの重要都市の1つであった。市は、3つの門のある2つの市壁の列で要塞化された。今も残る市壁はこの時代からのものである。埠頭に近い古い市壁の一部はバルビのアーチ(Balbi's Arch)といい、1680年から建っている。また、後期ルネサンス様式の時計塔もある。ロヴィニが市特権を授けられたのは1531年のことだった。

ヴェネツィアの没落と、ナポレオン戦争により、ロヴィニは第一次世界大戦までオーストリア帝国の一部となった。1918年から1947年まではイタリア王国に支配されていた。1947年以降ユーゴスラビアに併合された。この時代に、イタリア系住民の多くがイタリアへ逃れていった。
人口

ロヴィニにはおよそ15,000人が暮らしている。市民の多数派となっているのは、65.94%を占めるクロアチア人である。


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