ロン・ワシントン
Ron Washingtonロサンゼルス・エンゼルス 監督 #37
アトランタ・ブレーブスでのコーチ時代
(2022年8月5日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地ルイジアナ州ニューオーリンズ
生年月日 (1952-04-29) 1952年4月29日(72歳)
身長
体重5' 11" =約180.3 cm
155 lb =約70.3 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション遊撃手
プロ入り1970年 アマチュア・フリーエージェントとしてカンザスシティ・ロイヤルズと契約
初出場1977年9月10日
最終出場1989年7月7日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
ジョン・マクドノー高等学校
ロナルド・ワシントン(Ronald Washington, 1952年4月29日 - )は、アメリカ合衆国ルイジアナ州ニューオーリンズ出身の元プロ野球選手(遊撃手)。野球指導者。右投右打。2023年現在はMLBのアトランタ・ブレーブスで三塁コーチを務める。2024年シーズンからはロサンゼルス・エンゼルスの監督を務める。 1970年7月17日にカンザスシティ・ロイヤルズと契約。ロイヤルズ傘下、ニューヨーク・メッツ傘下、ロサンゼルス・ドジャース傘下のマイナー球団でプレーし、1977年9月10日にドジャースでメジャーデビューを果たした。しかし、その後3年間はメジャーに昇格することはなく、1981年にミネソタ・ツインズで4年ぶりにメジャーでプレーした。ツインズでは1986年までの6年間在籍。 その後、1987年はボルチモア・オリオールズ、1988年はクリーブランド・インディアンス、1989年はヒューストン・アストロズに所属し、1990年にテキサス・レンジャーズ傘下のAAA級オクラホマシティ・エイティナイナーズでプレーした後、現役を引退。1987年9月14日のトロント・ブルージェイズ戦でカル・リプケン・ジュニアが父シニア 現役引退後、1991年から1995年はメッツ傘下のマイナー球団のコーチを務め、1996年から2006年にかけてオークランド・アスレチックスの三塁コーチ(1996年は一塁コーチ)を務めた[3]。 2006年11月6日にレンジャーズの監督に就任[3]。この時、レンジャーズのベンチコーチのドン・ワカマツ、メッツの三塁コーチのマニー・アクタ、北海道日本ハムファイターズ監督のトレイ・ヒルマンらが監督候補だった[4](ワカマツ、アクタ、ヒルマンの肩書はいずれも当時のもの)。 2010年3月、前年7月の薬物検査でコカインに陽性反応を示していた事が発覚した[5]。 監督としてはレンジャーズを11年ぶりにアメリカンリーグ西地区優勝に導き、さらには球団史上初となるリーグ優勝決定シリーズ進出、そしてワールドシリーズ進出を果たした(1勝4敗でサンフランシスコ・ジャイアンツに敗退)。 2011年にもリーグ優勝を果たし、ワールドシリーズに2年連続出場。セントルイス・カージナルスと対戦し、3勝2敗と王手を掛けながらもその後連敗。2年連続でワールドシリーズ敗退となる。テキサス・レンジャーズでの監督時代 2014年2月24日にレンジャーズとの契約を2015年まで延長することに合意した[6]が、9月5日に一身上の理由で監督を辞任した。また、これに伴い、同年11月に日本で開催される日米野球MLB選抜の監督も辞退することになった[7]。オークランド・アスレチックスでのコーチ時代 2015年5月22日に守備インストラクターとしてアスレチックスに復帰[8]。8月24日より三塁コーチに配置転換され[9]、2016年まで務めた。 2016年10月11日に2017年シーズンよりアトランタ・ブレーブスの三塁コーチへの就任が発表された[10]。 2023年11月9日、2024年シーズンよりロサンゼルス・エンゼルスの監督に就任することが発表された[11]。
経歴
現役時代
コーチ、監督時代
(2014年8月30日)
(2015年8月14日)
詳細情報