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この項目では、アメリカの映画監督について説明しています。イギリスの俳優については「ロナルド・ハワード」をご覧ください。
ロン・ハワード
Ron Howard
2018年
本名Ronald William Howard
別名義Ronny Howard
生年月日 (1954-03-01) 1954年3月1日(70歳)
出生地 アメリカ合衆国 オクラホマ州ダンカン
ジャンル映画監督
プロデューサー
俳優
脚本家
活動期間1959年 -
配偶者シェリル・ハワード(1975年 - )
著名な家族ランス・ハワード(父)
ジーン・スピーグル・ハワード(母)
クリント・ハワード(弟)
ブライス・ダラス・ハワード(娘)
ペイジ・ハワード(娘)
セス・ガベル(娘婿)
主な作品
監督
『ラブ IN ニューヨーク』
『スプラッシュ』
『コクーン』
『ウィロー』
『バックマン家の人々』
『バックドラフト』
『ザ・ペーパー』
『アポロ13』
『身代金』
『グリンチ』
『ビューティフル・マインド』
『シンデレラマン』
『ロバート・ラングドン』シリーズ
『フロスト×ニクソン』
『ラッシュ/プライドと友情』
『ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』出演
『アメリカン・グラフィティ』
『ハッピーデイズ』
『ラスト・シューティスト』
受賞
アカデミー賞
作品賞
2001年『ビューティフル・マインド』
監督賞
2001年『ビューティフル・マインド』
放送映画批評家協会賞
監督賞
2001年『ビューティフル・マインド』
ルイ13世ジーニアス賞
2014年
エミー賞
作品賞(コメディシリーズ部門)
2004年『アレステッド・ディベロプメント』
作品賞(ミニシリーズ部門)
1998年『フロム・ジ・アース/人類、月に立つ』
グラミー賞
長編ミュージックビデオ賞
2016年『ザ・ビートルズ?EIGHT DAYS A WEEK - The Touring Years』
ゴールデングローブ賞
作品賞(テレビ映画・ミニシリーズ部門)
1998年『フロム・ジ・アース/人類、月に立つ』
主演男優賞(コメディシリーズ部門)
1977年『ハッピーデイズ』
その他の賞
全米監督協会賞
長編映画監督賞
1995年『アポロ13』
2001年『ビューティフル・マインド』ハリウッド名声の歩道
1981年 テレビ産業への貢献、業績に対して
2015年 映画産業への貢献、映画・演劇業界への業績に対して
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『ハッピーデイズ』(1975年?76年放送分)に出演していたころのハワード。右にいる男性は共演者であるパット・モリタ。
ロン・ハワード(Ron Howard、1954年3月1日 - )は、アメリカの映画監督、映画プロデューサー、俳優。オクラホマ州出身。
映画監督としては、2001年の『ビューティフル・マインド』にて第74回アカデミー賞監督賞・作品賞を受賞。『ダ・ヴィンチ・コード』は全世界で7億ドルを超えるヒットを記録した。
俳優としては、子役時代に8年間演じたシットコム『メイベリー110番』のオーピー・テイラー役、10代の頃に6年間演じたシットコム『ハッピーデイズ』のリッチー・カニンガム役で知られる。日本では俳優時代、一時期ロニー・ハワードと表記されている時代があった。
プロデューサーとしては、1986年にブライアン・グレイザーと「イマジン・エンターテインメント」を共同で立ち上げ、テレビシリーズ『24 -TWENTY FOUR-』『ライ・トゥ・ミー 嘘は真実を語る』などを世に送り出した。
父親は俳優のランス・ハワード。母ジーン・スピーグル・ハワード、弟クリント・ハワード、妻シェリル・ハワード、娘のブライス・ダラス・ハワード、ペイジ・ハワードも俳優。監督作に家族を出演させる事が多く、ブライスの夫であるセス・ガベルも『ダ・ヴィンチ・コード』やTVシリーズ『ジーニアス:世紀の天才 アインシュタイン』に登場する。 オクラホマ州ダンカンで監督、脚本家、俳優の父ランス・ハワードと女優ジーン・スピーグル・ハワードの息子として生まれる。父の姓はベッケンホルトだったが、1948年より芸名としてハワードを名乗る。ロン出生時、ランスは3年間アメリカ空軍に入隊していた。1958年、一家はハリウッドに転居し、1年後に弟クリント・ハワードが生まれる。後に『メイベリー110番』の撮影現場となるデシル・スタジオ
若年期
少年期、デシル・スタジオで家庭教師から学び、ジョン・ブロウ高等学校を卒業。後に南カリフォルニア大学映画芸術学部に入学するが、卒業はしていない。 両親ともに俳優だったので、子役のころから多くのテレビドラマや映画に出演。 1959年、『旅』で初めてクレジットされる。ジューン・アリソン主演のCBSのアンソロジー・シリーズ『The DuPont Show with June Allyson
キャリア
俳優業
1960年、『ダニー・トーマス・ショー』のスピンオフ『メイベリー110番』のオーピー・テイラー役に配役される。当時はロン・ハワードではなくロニー・ハワードとしてクレジットされており、『メイベリー110番(原題:アンディ・グリフィス・ショー)』の主演アンディ・グリフィスの息子役として8シーズンもの間出演していた。グリフィスとは舞台裏でも父と子のように過ごしていた。放送終了後も2人はランチを共にしたり、主に電話で連絡を取り続け、その後2度の再会番組にも共に出演し、2人の関係は2012年のグリフィスの死まで約45年間続いた。「父」の死がテレビのニュースで報じられるとハワードは「ドラマ、コメディ、音楽など多岐に亘る彼の創造に対する愛は周囲を活気付けた。彼が作り上げた『メイベリー110番』での精神は楽しいだけでなくプロフェッショナルでもあった。それはとても素晴らしい環境だった。人々が何かを作り上げる楽しみを知る機会を得ることに影響を与えたと思う。いつもそこに尊敬と情熱を持ち合わせ、誰かにお願いする時も気取らず自然だった。彼はいつも視聴者の皆さんを尊敬し、視聴者の気持ちに立っていた。彼は私に大きな影響を与えた。彼が亡くなったことはとても寂しいが、彼はとても豊かな人生だったと思う。」と声明を出した。
1962年『The Music Man 』、1973年『アメリカン・グラフィティ』、1976年『ラスト・シューティスト』などの映画に出演。 子役の頃から制作に興味を持ち、1972年に南カリフォルニア大学の映画学科へ進学。 在学中の1973年『アメリカン・グラフィティ』やテレビドラマ『ハッピーデイズ』などの主役で人気を得たが、1977年の『バニシングIN TURBO』で監督デビュー。1986年の『ガン・ホー』(日本では劇場未公開、ビデオ化のみ)は、国辱ムービーとしても話題を呼んだ。その他『コクーン』『バックドラフト』『アポロ13』などのヒットにより一流監督となり、2001年『ビューティフル・マインド』でアカデミー賞監督賞を受賞した。 テレビドラマ『24 -TWENTY FOUR-』ではプロデューサーも務めている。 マイケル・キートンが主演の『ガン・ホー』では、冒頭のシーンで日本ロケを敢行している。2009年には、『天使と悪魔』のプロモーションで、主演のトム・ハンクスやプロデューサーのブライアン・グレイザーらと共に来日。帝国ホテルでの記者会見や、東京ドームでの始球式などに参加した。 2017年、撮影終了直前に監督が降板した『スター・ウォーズシリーズ』のハン・ソロのスピンオフ映画『ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』を引き継ぎ、大部分を撮り直し完成に導いた[1][2]。
監督業
主な監督作品