ロン・ネッチアイ
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ロン・ネッチアイ
Ron Necciai
ロン・ネッチアイ(1952年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地ペンシルベニア州ギャラティン
生年月日 (1932-06-18) 1932年6月18日(91歳)
身長
体重6' 5" =約195.6 cm
185 lb =約83.9 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション投手
プロ入り1950年 アマチュアFA
初出場1952年8月10日
最終出場1952年9月28日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


ピッツバーグ・パイレーツ(1952)

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ロナルド 「ロン」 アンドリュー・ネッチアイ(Ronald "Ron" Andrew Necciai , 1932年6月18日 - )は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州ギャラティン(英語版)出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

1952年北米プロ野球史上唯一の927奪三振を達成した投手として知られる。
経歴
マイナーリーグデビュー

1950年シーズンマイナーリーグのクラスD級(ルーキーリーグ相当[1])のアパラチアンリーグ球団でプロ野球のキャリアを開始した[2][3]一塁手として入団したが、翌シーズンには投手コンバートされた[4]

3年目の1952年にファーム責任者の目を引き、メジャーリーグベースボール(MLB)のスプリングトレーニングに招待された。そこで結果を出してメジャー昇格が濃厚になったが、持病の胃潰瘍が悪化してマイナーでの調整が決まり、ブリストル(英語版)に配属された[1]。発作を伴うほど酷く、食事はよく焼いたメルバトーストカッテージチーズしか受け付けなかった[5]。2年目までパッとしなかったのは、高校時代に全力投球して打者肋骨を折って以来、全力で投げるなと言われたのを守っていたからだという[1]。球威のある速球スプリットフィンガーに近いドロップを武器にしていた[4]
9回27奪三振

ピッツバーグ・パイレーツ傘下D級ブリストルに所属するネッチアイは1952年5月13日、ショー・スタジアム(バージニア州ブリストル)で行われた観衆1,183人の対ウェルチ(英語版)戦において927奪三振の偉業を達成した[5]

まず初回に三者連続奪三振の立ち上がりを見せる[5]。2回にウェルチの打者の一人が遊撃手へのゴロで凡退し、ネッチアイは残る2人を三振に切って取る[5]。3回には味方一塁手の失策から先頭打者を塁に出すが、続く3人を三振に打ち取る[5]。3回が終わってダッグアウトに戻り、燃えるような胃の痛みを訴えるネッチアイに、監督のジョージ・デトア(英語版)は出来る限り長く投げるようにと突き放し、そのまま続投させた[5]

4回からウェルチ打線セーフティーバントを試みるが、打球はことごとくファウルになった[6]。ネッチアイは勢いに乗ってその後も奪三振ショーを繰り広げ、6回を終わった時点で奪三振の数は17個に達していた[5]。燃えるような胃の痛みを抱えながら7回と8回もそれぞれ3人から三振を奪う[5]。9回の先頭打者がファウルフライを上げたときは、ファンの「落とせ」という叫びを聞いて捕手のハリー・ダンロップ(英語版)が落球し、結局この打者も三振する。その次の打者も空振り三振に取る[5]。9回の3人目の打者も空振り三振となるが、捕逸で打者は振り逃げを試みて出塁する[5]。ただ、この捕逸は故意ではなかったという[1][5]。ネッチアイはその次の打者からも三振を奪い、ノーヒットノーランに加えて9回27奪三振という北米プロ野球の歴史においても史上唯一となる究極の記録が達成された[7]

なお、これ以前のマイナーの9回での最多奪三振は1941年に樹立された25個だった[5]。また、メジャーの9回での最多奪三振はロジャー・クレメンス(2度)、ケリー・ウッドランディ・ジョンソンマックス・シャーザーが記録した20個である[8]。相手のウェルチ打線は四球死球、失策と振り逃げでそれぞれ一人ずつの走者を出しただけだった[1]。本人は試合後に27奪三振の記録を達成したことを伝えられても現実味が感じられなかったという[4][5]
記録達成後

大記録を達成したネッチアイは一躍時の人となり、『エド・サリヴァン・ショー』の出演依頼もあったが、球団が出演を認めなかった[5]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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