ロン・セクスミス
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ロン・セクスミス
ロン・セクスミス(2004年7月)
基本情報
出生名ロナルド・エルドン・セクスミス
生誕 (1964-01-08) 1964年1月8日(60歳)
出身地 カナダ
オンタリオ州
セント・キャサリンズ
ジャンルポップ
フォーク
担当楽器
ギター
ピアノ
活動期間1978年 - 現在
レーベルワーナー・ブラザース・レコード
共同作業者The Uncool
The Kelele Brothers

ロン・セクスミス(Ronald Eldon "Ron" Sexsmith, 1964年1月8日 - )は、カナダオンタリオ州セント・キャサリンズ出身のシンガーソングライター[1]

1978年、14歳のころからバンド活動を開始し、7年後の1985年には初のレコーディング音源をリリースしている。

2010年には、彼を題材にしたドキュメンタリー映画「ラブ・シャインズ」が製作された[2]
経歴
初期の活動

セクスミスは17歳の時分に故郷の町のバーで演奏活動を開始し、その音楽キャリアをスタートさせた。客からのさまざまなリクエストに応えることができた彼は「ワンマン・ジュークボックス」との評判を得ていたが、こうした活動を4、5年ばかり続けるうちに、彼は自作の曲、それも聴衆があまり好まないようなもっと翳のある作風を指向するようになる[1]。1985年、第1子が誕生した時期を境に、彼は曲を自作するようになった[3]トロントへと引っ越して「The Uncool」なるバンドを結成し、Out Of The DuffやThere's A Wayと題した作品をリリースしていた[4][1]1989年には第2子を授かった。この間、彼は配達夫として働く一方で、音楽活動の場では俳優・ミュージシャンのボブ・ワイズマンとの親交を温めていた。

友人であるワイズマンの協力を得て、セクスミスはアルバム「グランド・オペラ・レーン」を制作、1991年にインディーズでリリースした。レコーディングにはThe Uncoolのメンバーに加え、ワイズマンの伝手でサラ・マクイクラン(ホーンアレンジメント)やキム・ラトクリフ(エレクトリックギター)といった面々も参加していた。ワイズマンはこのアルバムを手に、セクスミスを売り込もうとレコード会社を回るものの門前払いを受け続けていたが、唯一ゲフィン・レコードだけが興味を示した。このアルバムの魅力、殊に楽曲"スピーキング・ウィズ・ジ・エンジェル"が俄かに注目を集めていたことから、最終的にゲフィンとセクスミスは契約を交わすに至り、1995年には自身の名を冠したアルバム「RON SEXSMITH」をメジャーからリリースした。エルヴィス・コステロ(後にセクスミスは彼の前座を務めることになる)から絶賛を受けたこのアルバムは、リスナーからより幅広い支持を獲得することとなった[5]
成功と人気の拡大

セクスミスは1997年から2001年までの間に3枚のアルバムをリリースした後、2002年には名作と評価される「コブルストーン・ランウェイ」を発表した[4]。次作「リトリーヴァー」はエリオット・スミスジョニー・キャッシュに向けて捧げられた作品で、それまで以上にポップ指向を打ち出したものとなっている[6]2004年には、ドイツの芸術祭典「ルール・トリエンナーレ」内の「センチュリー・オブ・ソング」というコンサート(グラミー賞受賞ギタリストであるビル・フリゼールが主催したもの)に出演した[7]

2001年5月1日、セクスミスはBBCのテレビ番組「ジュールズ倶楽部」にR.E.M.オービタル、インディア.アリー、クリアレイクらと共に出演し、ジュールズ・ホランドのピアノ演奏をバックに"ジャスト・マイ・ハート・トーキング"を披露した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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