London Stock Exchange
ロンドン証券取引所
セント・ポール大聖堂から眺めたパターノスター広場。ロンドン証券取引所は写真の向かって右側の建物に入っている。
種類株式会社
略称LSE
本社所在地 イギリス
シティ・オブ・ロンドン
設立1801年 12月30日
業種証券取引所
主要株主ロンドン証券取引グループ
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ロンドン証券取引所(ロンドンしょうけんとりひきじょ、英語: London Stock Exchange, LSE)は、1801年に設立された、イギリスのロンドンにある証券取引所である。世界における主要な取引所のひとつ[注 1]であり、世界経済中枢の一角を担う。所在はシティ・オブ・ロンドンのセント・ポール大聖堂に近い、パターノスタースクエアに位置する。運営は2007年以降、ロンドン証券取引所グループ(LSE
: LSE)が行っている。上場企業は全体で2008年9月30日現在3213社を数え[1]、イギリス企業のみならず、国外の企業も多く含まれる。WFEの統計によると、2011年2月現在の時価総額は3.857兆ドル(約310兆円)であり第4位、2010年通年の売買代金は第6位であった。 代表的な株価指標は時価総額が最も大きい100社を対象としたFTSE 100で、これは1983年末の株価を基準値1000とした時価総額加重平均型株価指数である。 通常の立会時間は土曜・日曜・取引所の定める休みを除く、平日の西ヨーロッパ時間8:00?16:30。日本標準時では、冬時間は17:00?翌日1:30、夏時間は16:00?翌日0:30にあたる。 ロンドンにおける株式取引のおこりはウィリアム3世の治世の時代、ロシア北部の白海経由で中国を目指したモスクワ会社、インド・東洋の航海をした東インド会社、この2つの組織の資金を安定的に手当てする必要があったことによる。これは個人が捻出するに困難なほどの費用も、商人らに株式を発行することで会社立ち上げの資金を獲得し、株主らには最終的な利潤の分配権を与えるものであった。手法はすぐさま広まり、1695年には140の株式会社 (joint stock company その後もエクスチェンジアレイはさかえていったが、1720年におきた南海泡沫事件によって潮流は後退する。南海会社の株価急騰に端を発した過剰なほどの熱狂が市場を席巻し、じきに株価の急速な巻き戻しが起きた一連の出来事は市場の混乱をまねき、その回復に長い時間をついやすこととなった。詳細は「南海泡沫事件」を参照 南海泡沫事件によって、1720年バブル条例 1748年にジョナサンが火事で焼け落ち、加えてアレイ界隈のあふれかえる人の多さに不満がつのっていたこともあって、ブローカーらはスレッドニードル通りにニュー・ジョナサンを再建、まもなく名称を証券取引所と定めた。1801年には会員規則の新設、証券取引会員場への再度改名をもって今日あるロンドン証券取引所の基礎ができあがる。しかし、これもまた手狭であったため同年にカペルコートへ移転するなど紆余曲折を経ながらも、市場そのものが朽ちることはなく1820年代の鉄道・運河・鉱山・保険に関わる産業の成長が支えとなって再び立ち直っていった。 1865年から1914年の間、イギリスの資本輸出におき大英帝国向けは4割で16.1億ポンドに達した。その半分はカナダ・オーストラリア向けであった。資本輸出は帝国主義の手段ではなく、むしろ収益性に帝国主義を従属せしめるものであった。[2] 1923年には紋章が授与された。モットーは「我が言葉は我が証文なり」(ラテン語: dictum meum pactum、英語: my word is my bond)[3]。このモットーが表しているとおり、「ロンドン株式取引所の最大の長所は、非のうちどころのない誠実さ」[4]といわれた。 1972年、エリザベス2世出席のもと立会場をそなえた証券取引所タワーをスレッドニードル通りに開き、新たな舞台を設けた。1986年10月27日のビッグバン到来においては大規模な変革がもたらされ、有価証券取引の手数料自由化によってブローカーやディーラー同様に各業者ごとで決定できる仕組み、ディーリングルームへのコンピュータシステム導入など、業務にかかわる多くの規制撤廃・緩和がなされた。 1990年7月20日、IRA暫定派の仕掛けた爆弾が、見学室後方の男性トイレで爆発する事件がおこる。現場はすでに避難が済んだ後であり、負傷者はゼロであった[5]。ただし電子取引を眼前にできる観光名所とはいえ事件の影響は大きく、同スペースを再開したものの1992年に閉鎖された。新ロンドン証券取引所ビルの内部。中央のオブジェクトは、グレイワールドの手がけた『ザ・ソース』。 2004年7月、スレッドーニードル通りからセント・ポール大聖堂のすぐそばであるパターノスタースクエアへ移転。エリザベス2世が再び出席、エディンバラ公フィリップ同伴のもと、2004年7月27日に新ロンドン証券取引所がオープンした。 2005年にロンドン証券取引所はNASDAQから合併提案を受けたが、2007年初頭、最終的に拒否した[6] 。2007年、ロンドン証券取引所はイタリア証券取引所を買収、これを契機に「ロンドン証券取引所グループ
株価指数
取引時間
沿革
創成期
南海泡沫事件
バブル条例
スレッドニードル通り
IRAによる爆弾事件
パターノスタースクエア
ロンドン証券取引所グループ設立と近年の経営統合論議
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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