ロンドン条約_(1915年)
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この項目では、1915年に伊英仏露間で締結されたロンドン秘密協定について説明しています。その他の用法については「ロンドン条約」をご覧ください。

ロンドン条約(1915年)アドリア海東岸(イストリア・ダルマチア)のイタリア国境案。ロンドン条約では赤線が示されたが、実際には緑線が国境となった。
通称・略称ロンドン密約
ロンドン秘密協定
署名1915年4月26日
署名場所ロンドン
締約国 イタリア王国
イギリス
フランス共和国
ロシア帝国
主な内容

大戦終結後の未回収のイタリアの譲渡を約束

イタリアが連合国側での対独参戦を約束

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ロンドン条約(ロンドンじょうやく、: Treaty of London)は、1915年4月26日イタリア王国三国協商の間で結ばれた秘密協定。

ロンドン密約、ロンドン秘密協定とも。
概要

イタリアは、普墺戦争の際にオーストリアから回収できなかった、南ティロル地方トレンティーノ地方トリエステイストリア地方フィウーメダルマツィア地方などの地域(未回収のイタリア)の奪回を念願としていた。

第一次世界大戦において、当初イタリアは、オーストリアを含む三国同盟に所属していた。

大戦終結後の未回収のイタリアの譲渡を約束され、1915年4月26日にイタリア外相シドニー・ソンニーノ(イタリア語版、英語版)がイギリス外相エドワード・グレイとフランス外務秘書長官ジュール・カンボン(フランス語版、英語版)(外相テオフィル・デルカッセの代理)とこの条約を締結し、連合国側での対独参戦を約束した。
関連項目.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキメディア・コモンズには、ロンドン条約 (1915年)に関連するカテゴリがあります。

未回収のイタリア

ヴェネツィア・ジュリア

トレンティーノ=アルト・アディジェ州


三枚舌外交

ロンドン条約 (曖昧さ回避)










第一次世界大戦
経過

背景

三国同盟

三国協商

3C政策

3B政策

艦隊法

英独建艦競争(英語版)

シュリーフェン・プラン


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