ロンドンデリー
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同名の場所などについては「デリー (曖昧さ回避)」、「ロンドンデリー (曖昧さ回避)」をご覧ください。
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この項目「ロンドンデリー」は翻訳されたばかりのものです。不自然あるいは曖昧な表現などが含まれる可能性があり、このままでは読みづらいかもしれません。(原文:英語版02:45, 9 April 2015(UTC))
修正、加筆に協力し、現在の表現をより自然な表現にして下さる方を求めています。ノートページや履歴も参照してください。(2015年4月)

ロンドンデリー.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul{line-height:inherit;list-style:none none;margin:0;padding-left:0}.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol li,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul li{margin-bottom:0}

英語: Derry / Londonderry

スコットランド語: Derrie / Lunnonderrie

アイルランド語: Doire / Doire Cholmcille

メイデン・シティ(Maiden City)


上段から左、右の順に:オースティン百貨店、デリー城壁、フリー・デリー・コーナー(英語版)、フォイル川(英語版)に架かるピース橋(英語版)、ロンドンデリーの夜景、ダイアモンド戦没者慰霊碑(英語版)、ハンズ・アクロス・ザ・ディバイド(Hands Across the Divide)像

Vita Veritas Victoria
"生命、真実、勝利"
(クレイガヴォン橋(英語版)にある勲章から採られた)
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人口ロンドンデリー
85,016 
都市地域(英語版)
93,512 
都市圏
237,000 
2008 est.
愛式座標 ⇒C434166
ディストリクト

デリー市(英語版)



ロンドンデリー県/デリー県

構成国 北アイルランド
イギリス
郵便地域.mw-parser-output span.allcaps{text-transform:uppercase}LONDONDERRY[1]
郵便番号BT47
BT48
市外局番028

警察北アイルランド
消防北アイルランド
救急医療北アイルランド

欧州議会北アイルランド
英国議会

フォイル(英語版)

北アイルランド議会

フォイル(英語版)

公式サイト ⇒www.derrycity.gov.uk

場所一覧
イギリス北アイルランド.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯54度59分30秒 西経7度20分30秒 / 北緯54.9917度 西経7.3417度 / 54.9917; -7.3417座標: 北緯54度59分30秒 西経7度20分30秒 / 北緯54.9917度 西経7.3417度 / 54.9917; -7.3417

デリー(英語: Derry、[?d?r?][2])、公式にはロンドンデリー(英語: Londonderry、[?l?nd?n?d?r?][2])は、北アイルランドで2番目に大きい都市であり[3][4]アイルランド島において4番目に大きい都市でもある[5]。デリーと言う名は「オークの森」を意味するアイルランド語の「Daire」もしくは「Doire」を英語化(英語版)したものである[6][7]。1613年、ジェームズ1世の勅許状により都市になることが承認され、デリーの前に「ロンドン」を付ける形で市名がロンドンデリーに変更された。デリーという都市名がより一般的に知られているが[8][9]、ロンドンデリーという都市名も一般的に使用されていて、法的名称として残っている。

フォイル川西岸にある古い城壁都市は2つの道路橋と1つの歩道橋が架かっているが、現在両川岸とも市内(西の「シティサイド」と東の「ウォーターサイド(英語版)」)に入っている。また都市区域は南東の農村部にも及んでいる。デリー区が管轄していて、ロンドンデリー港(英語版)とシティ・オブ・デリー空港(英語版)を抱えている。

市から約30km圏内の大デリー地域の人口は23万7000人である[10]。この地域はデリー・シティとリマヴァディ区(英語版)とストラバン区(英語版)の一部、ドニゴール県東部(ラフォー(英語版)とセント・ジョンストン(英語版)を含む)やイニショウエン(英語版)で構成されている[11]

また、アイルランド共和国のドニゴール県と国境(英語版)で接していて、何世紀にも渡って親密な関係となっている。デリーの創設者は伝統的にコルムシルという聖人と見なされていて、コルムシルはティアコネル(英語版)からやってきた聖者で、ティアコネルは現在のドニゴール県のほぼ全ての地域(1610年以前はフォイル川西岸も一部だった[12])の古名である。

2013年、ロンドンデリーは2010年7月にイギリス文化都市(英語版)に選出された[13][14]
市名詳細は「デリー/ロンドンデリー名称論争」を参照北アイルランドにある、「London(ロンドン)」の部分が塗りつぶされた道路標識アイルランド共和国ドニゴール県にある、英語の「Derry(デリー)」とアイルランド語の「Doire(ディリャ)」表記の道路標識

1662年4月10日に発行された市の特許状によれば正式な都市名は「ロンドンデリー(Londonderry)」であり、デリー市議会が市名を変更するための手続きに関する指針を求めたことに対し、2007年1月に高等裁判所がこの勅許状を再確認する形で退けた[15][16]。しかし、議会は1984年に名称をロンドンデリー市議会からデリー市議会に変更しており[17]、この裁判はこの名称変更で市名までも変更することが可能かどうか明確に求めるものだった。裁判所の決定はそれが明確とはしなかったが枢密院へ市名変更の請願は正しい手順だったことを明確化した[18]。デリー市議会はその後この手順を開始し、平等性インパクト評価レポート(EQIA)の実施を伴った[19]。2009年に、市内在住者への最初のアンケートを取ったが、市名変更に賛成なのはカトリック教徒の75%、ナショナリストの77%だったが、プロテスタントは6%、ユニオニストは8%に過ぎなかった[20]。その後EQIAでは、諮問公開討論会を2回開催し、市名をデリーに変更すべきか否かに関する意見を一般市民から募集したが[21]、総数12,136件のうち、3,108件は概して賛成だったものの、9,028件は反対意見だった[21]

公式市名に反して、簡素なデリーの方がより一般的に知られているが[8][9]、デリーはアイルランド語でカシの森/カシの木を意味する「Daire」や「Doire」を英語化した言葉で、この言葉は現在のこの都市に位置している場所の最も古い名称である「ディレ・カルガフ(Daire Calgaich)」(カルガフのカシ森)が由来となっている[22]。市名がデリーから変更されたのはアルスター植民(英語版)の間である1613年でロンドンのギルドによる市の設立を反映したものだった[23][24]

デリーという名称はナショナリストが好んでいて、北アイルランド[25]やアイルランド共和国のカトリック教徒の間で幅広く使われていて、逆にユニオニスト(英語版)の間ではロンドンデリーという名称が好まれるが[26][27]、日常会話では市内に住むほとんどのプロテスタント教徒はデリーと言っている[28]。一方、市政府の決定により、イギリス国内での公式使用は通常[25]ロンドンデリーとなっているが、アイルランド共和国の都市や県のほとんどでは地図もメディアでも会話でも常にデリーを使っている[29]。2009年4月、アイルランド共和国外務大臣のマイケル・マーティン(英語版)はロンドンデリー出身者でアイルランドのパスポートを所持している場合ロンドンデリーとデリーの両方を選べるようにすると発表した[30]。アイルランド共和国での公式道路標識はデリー表記だが、北アイルランドではロンドンデリー(「L'Derry」と略している場合もある)表記であるものの、「ロンドン」の部分を読めなくする破壊行為が行われることがある[27]。組織団体によっても表記が分かれており併記する例もある。例としてシティ・オブ・デリー空港、デリー・シティFC、プロテスタントのデリー徒弟少年団(英語版)といったデリー呼称、対してロンドンデリー港、ロンドンデリーYMCAラグビークラブ、ロンドンデリー・チャンバー・オブ・コマースとロンドンデリーと称する場合もある[31]。市内のほとんどの企業はペニーバーン、ローズマウントといったローカル地域名やフォイル川由来のフォイルを社名で使用することで他のコミュニティからの反発を避けている。ロンドンデリー駅(英語版)は市内ではウォーターサイド駅と呼ばれる事が多いが、他駅ではデリー/ロンドンデリーと呼称されている。1984年5月7日に市議会は市が含まれる行政区を変更した時に、これにより市議会名もデリー市議会に変更された[32]。市は地区と隣接しているが市名は変更せず、市議会も法的に「コーポレーション・オブ・ロンドンデリー(Corporation of Londonderry)」、より正式的に「メイヤー、アルダーマン・アンド・シチズン・オブ・ザ・シティ・オブ・ロンドンデリー(Mayor, Aldermen and Citizens of the City of Londonderry)」となっている[33]ロイヤルメールのポスト・タウン(英語版)ではロンドンデリー表記だが、デリー表記でも配達は可能である。

また市の別名として「メイデン・シティ(the Maiden City)」があるが、これは1688-89年にあった最も有名なデリー包囲戦(英語版)など17世紀に3度も包囲されたのにもかかわらず持ちこたえた歴史的事実に基づく[34]。さらに地元の放送司会者であるゲリー・アンダーソン(英語版)は「ストローク・シティ」と名づけたがデリー/ロンドンデリーという「政治的に理にかなった」スラッシュ表記を風刺したものである[25](自身が出演していたBBCテレビで使用していた[35])。最近では市内に向かう主要道路を走るドライバーを迎える、いくつかの大きな石柱がそびえ立つ風景を風刺的に「ウォールド・シティ(the walled city)」と呼ぶこともある。

デリーという呼称はアイルランドでは非常に多く使われており、少なくとも6の町と79の地点で使用されているだけでなく、デリーベグ、デリーボーイ、デリーレア、デリーモアと地名の一部で使われることも多い。

さらに、デリーとロンドンデリーの使用はアイルランドにとどまらず、アメリカ合衆国ニューハンプシャー州ではデリーという町があるが西にロンドンデリーという町が隣接している。ロンドンデリーは他にイングランドのヨークシャー、アメリカ合衆国バーモント州、カナダのノバスコシア州、オーストラリアの北部と東部に存在する。チリでもティエラ・デル・フエゴにロンドンデリー島(英語版)がある。なお、インドの首都デリーとは綴りの違いが示すように語源としては全く関係が無い。

スティーブン・キングの小説にアメリカ合衆国メーン州にある架空の町としてデリー(英語版)が登場する[36]
城壁ロンドンデリーにある城壁の一部ビショップ・ストリート・ゲート


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