紋章
標語: "unikt, trygt og skapende"
(独特、安全、創造的)
ロングイェールビーンとスヴァールバル諸島の位置
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.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯78度13分 東経15度33分 / 北緯78.217度 東経15.550度 / 78.217; 15.550
ロングイェールビーン(ノルウェー語: Longyearbyen ノルウェー語発音: [?l??ji?rby??n]、ロシア語: Лонгйир)は、ノルウェー領スヴァールバル諸島にある町。スピッツベルゲン島西部のイース・フィヨルド南岸に面している。人口は2040人(2008年)でスヴァールバル諸島人口の大半を占め、1000人以上の人口を有する町の中では、世界で最も北にある。かつては炭鉱町だったが、現在では観光・教育・研究にも重点が置かれている。長らくスヴァールバル総督府を通した政府直轄管理が行われていたが、2002年に基礎自治体に相当する地域行政府(lokalstyre)が成立した。ロングイールビュエンとも呼ばれる。また、スカンジナビア航空の日本語サイトではロングヤービーエンと表記されている。
町の名は「ロングイェールの町」の意。ロングイェールとはスヴァールバル諸島で炭鉱経営を行ったアメリカ人実業家ジョン・マンロー・ロングイヤー(en)のことである。
地理対岸ヒョルス山(Hiorthfjellet)から望むロングイェールビーン。手前はアドベント湾、奥はロングイェール谷。
ロングイェールビーンはスピッツベルゲン島の西から中央にかけて大きく入り込んだイース・フィヨルドの南側に位置している。イース・フィヨルドの中程南側、南西からアドベント湾に注ぐロングイェール川の両岸にまたがる形で町が広がっている。上流側からNybyen、Sverdrupbyen、Haugen、Lia、Gamle Longyearbyen、Skjaringaなどの地区がある。
イース・フィヨルド南岸を西に36km行ったところにロシア人による炭鉱町バレンツブルクがあるが、道路は通じていない。 典型的なU字谷であるロングイェール谷に位置している。谷の最奥部には氷河が残っており、両側は台地になっている。谷の崖面には砂岩や頁岩からなる第三紀の地層が露出しており、その下にわずかに傾いた石炭層がある。 スヴァールバルの中でも気候が穏やかな地域であり、同緯度の他地域と比べて生物学的多様性が大きくレッドリスト所収の希少種も多く存在する。ロングイェールビーン議会の依頼に基づき行われたNorsk institutt for naturforskning(NINA; ノルウェー自然科学研究機構)による多様性調査(2007年)によれば、ノルウェーのレッドリストもしくはカテゴリー3(スヴァールバルで1?4か所しか知られていない)に属する希少種は178種あり、その内訳は菌類(100種)や地衣類(44種)が多く、他にコケ植物(18種)と維管束植物(16種)とが挙げられている[1]。 スヴァールバルの自然は気候や地質学的過程と生物の分布拡大によって作られたものである。しかし人類の活動もまたロングイェールビーンの植生や景観に影響を与えており、特に養分が供給されることで草がよく茂るようになっている。1990年代の「ロングイェールビーン緑化計画」により中心部の坂道に種が蒔かれ、この部分は緑で覆われるようになったが、そのせいで外来遺伝資源が持ち込まれた。その後2002年のスヴァールバル環境保護法により自生可能な生物の持ち込みは規制された。 周辺にはスヴァールバルトナカイ、スヴァールバルライチョウ、ホッキョクギツネなどが居る。川、池、湿地などは鳥類の生息繁殖地となっている。ホッキョクギツネの生息地はBjorndalen、Nybyen、教会の後背地が登録されている。狩猟解禁期であってもロングイェールビーン一帯でのホッキョクギツネのハンティングは禁止されている。 島の西側を流れる暖流と頻繁に通過する低気圧の影響で、ロングイェールビーンの気候は同緯度の地域と比べて穏やかである。ロングイェールビーンへと通じるイース・フィヨルドは冬でもほとんど凍らないため、北極海航路における重要な拠点の一つにもなっている。しかしそれでも冬季は寒さが非常に厳しく、夏季でも月平均気温が7°Cというツンドラ気候であり、年平均気温は-4°C、植物の生長可能期間(5°C以上になる日数)は70日でしかない。冬には強風が、夏には霧がよく出る。 ノルウェー本土で最も乾燥した地域と比べてもなお降水量が少なく、年間190mm(スヴァールバル空港)というノルウェーの降雨観測所における最少記録がある。スヴァールバル諸島での降水はバレンツ海から吹く極東風に依っているため、スピッツベルゲン島南東部での降水量はロングイェールビーンの3倍になる。 北緯約80度という位置のため、一年の大部分が白夜か極夜になる。白夜は4月20日から8月23日までであり、夏至の太陽高度は一日中11°?35°の間にある。暗期(Morketiden, 太陽が昇らない、いわゆる極夜)は10月26日から2月15日までであり、このうち11月11日から1月30日までは薄明にもならないためずっと夜が続く(ノルウェー語ではこちらをpolarnatt「極夜」と呼ぶ)。暗期には晴れていれば頻繁にオーロラを観測できる。 ロングイェールビーンの気候 スヴァールバル諸島は1596年にオランダ人探検家のウィレム・バレンツが発見した。17世紀前半、ヨーロッパ各国がスヴァールバル諸島での捕鯨権をめぐって抗争になった。その後デンマーク=ノルウェーとイギリスが領有権を主張したが、どちらも実効支配することはなく無主地のままであった。 19世紀にアドベント湾を訪れた人々は、主に観光目的だった。最初の旅行記は1807年に遡り、それ以来、小型船の所有者や船を借りた者たちが多く訪れている。1893年にはハンブルク・アメリカ航路の客船コロンビア(7600トン)がアドベント湾を訪れている。これは100人の乗客と17人編成のオーケストラを乗せた豪華な客船だった。ノルウェーの船主でスヴァールバールへの観光船を運航する者もあったが、外国籍の船の方が数は多かった。1896年、現在空港がある近くのHotellneset(ホテル岬の意)にホテルが建てられた。経営者はVesteraalens汽船会社でノルウェー沿岸航路を確立したRichard Withであった。 17世紀の捕鯨時代にはすでにスヴァールバルに石炭鉱床があることは知られていたが、トロムソ出身の船乗りツァハリアセン(Soren Zachariassenがこの島の石炭産業 アメリカ人実業家ジョン・マンロー・ロングイヤー
地質
生物相
気候
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
平均最高気温 °C (°F)?13.0
(8.6)?13.0
(8.6)?13.0
(8.6)?9.0
(15.8)?3.0
(26.6)3.0
(37.4)7.0
(44.6)6.0
(42.8)1.0
(33.8)?4.0
(24.8)?8.0
(17.6)?11.0
(12.2)?4.7
(23.45)
平均最低気温 °C (°F)?20.0
(?4)?21.0
(?5.8)?20.0
(?4)?16.0
(3.2)?7.0
(19.4)?1.0
(30.2)3.0
(37.4)2.0
(35.6)?3.0
(26.6)?9.0
(15.8)?14.0
(6.8)?18.0
(?0.4)?10.3
(13.4)
降水量 mm (inch)22.0
(0.866)28.0
(1.102)29.0
(1.142)16.0
(0.63)13.0
(0.512)18.0
(0.709)24.0
(0.945)30.0
(1.181)25.0
(0.984)19.0
(0.748)22.0
(0.866)25.0
(0.984)271
(10.669)
出典:Longyearbyen Climate Guide[2]
歴史
炭鉱以前
アメリカ時代炭鉱2b「サンタクロース」
1900年、トロンハイムの実業家ネス(Henrik Nass)ほか3人がKulkompagniet Trondhjem-Spitsbergen(トロンハイム・スピッツベルゲン石炭会社)を設立し、この地の石炭鉱床を占有するために8名の人間を送り込んだ。しかしほぼ同時期に石炭採鉱に詳しい外国人らが周辺の石炭鉱床を占有し争奪戦を繰り広げていたため、ネスらは権利や資産を売って撤退することにした。
一方ロングイヤーは、1901年家族とともにミシガンからスヴァールバル諸島への船旅をし、スピッツベルゲン島南部の炭鉱やアドベント湾近くの石炭露頭を見て興味を持っていた。