ロンキ・デイ・レジョナーリ
Ronchi dei Legionari
トリエステ=ロンキ・デイ・レジョナーリ空港
行政
国 イタリア
州 フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア
県/大都市 ゴリツィア
CAP(郵便番号)34077
市外局番0481
ISTATコード031016
識別コードH531
分離集落Cave di Selz, Soleschiano, Vermegliano [1]
隣接コムーネ#隣接コムーネ参照
公式サイト ⇒リンク
人口
人口11802 人 (2023-01-01 [2])
人口密度695.1 人/km2
文化
住民の呼称ronchesi
守護聖人聖ロレンツォ (San Lorenzo
ロンキ・デイ・レジョナーリ(伊: Ronchi dei Legionari)は、イタリア共和国フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州ゴリツィア県にある、人口約人口約12,000人の基礎自治体(コムーネ)。
港湾都市モンファルコーネの都市圏に含まれる都市で、トリエステ=ロンキ・デイ・レジョナーリ空港(フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア空港)の所在地である。 イタリア語以外の言語では以下の名を持つ。 ゴリツィア県南部のビシアカリア (it:Bisiacaria コムーネ西部にはトリエステ=ロンキ・デイ・レジョナーリ空港(フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア空港)があり、州の空の玄関口となっている。 隣接するコムーネは以下の通り。 モンファルコーネからは市街地が連坦している。ロンキ・デイ・レジョナーリは単体でもゴリツィア県第3位の人口を持つコムーネであり、モンファルコーネ都市圏の人口は県都ゴリツィアを上回る。 ロンキ・デイ・レジョナーリにおけるイタリアの気候分類 (it この地の人々の生活はローマ時代以前に遡る[8]。ローマ時代にはいくつかの村落が築かれ、空港周辺では古代のネクロポリスが発掘されている。 15世紀以降ヴェネツィア共和国領になり、その後ハプスブルク君主国の領土となった。1850年には行政官(ポデスタ、Podesta)が派遣されるようになり、1912年には村の格を得た[8]。 第一次世界大戦後、イタリア王国領となった。1919年、国家主義的詩人ガブリエーレ・ダンヌンツィオは義勇兵「レジョナーリ」(「軍団」の意)を組織し、「ロンキ・ディ・モンファルコーネ」(Ronchi di Monfalcone)と呼ばれていたこの町から出発してリエカ(フィウメ)を占領した(カルナーロ=イタリア執政府参照)。コムーネの名は、これを記念して1925年に改名された。 国立統計研究所(ISTAT)は居住地区(Localita abitata)別の人口として以下を掲げている[3]。統計は2001年時点。 地区名標高人口備考 ISTATは人口統計上、家屋密度の高い centro abitato
名称
フリウリ語: Ronchi
スロベニア語: Ronke
地理
位置・広がり
隣接コムーネ
フォリアーノ・レディプーリア - 北
ドベルド・デル・ラーゴ - 東
モンファルコーネ - 南東
スタランツァーノ - 南
サン・カンツィアン・ディゾンツォ - 南西
サン・ピエール・ディゾンツォ - 北西
気候分類・地震分類
歴史
社会
人口
人口推移
居住地区別人口
RONCHI DEI LEGIONARI7/14011,121
LE GIARE1037サン・カンツィアン・ディゾンツォの Begliano 地区に連続
RONCHI DEI LEGIONARI *1111,075モンファルコーネとスタランツァーノに連続
Case Sparse-9