この項目では、「やまだひろなが」のペンネームを持つ編集者・作家について説明しています。アクション監督については「川本耕史」をご覧ください。
川本 耕次
(かわもと こうじ)
2011年
ペンネーム野次馬
ネットゲリラ
カリスマ厨房
やまだひろなが
でぶりんこひーちゃん
全国三流劇画共闘会議
誕生山田 博良
(やまだ ひろなが)
(1953-05-03) 1953年5月3日
日本 静岡県三島市
死没 (2022-12-26) 2022年12月26日(69歳没)[1]
職業編集者
文筆家
写真家
実業家
ブロガー
言語日本語
最終学歴明治大学文学部仏文科中退[2]
→大東文化大学日本文学科卒業[3]
活動期間1976年 - 2022年
ジャンルロリータ
官能小説
漫画評論
自販機本
三流劇画
代表作雑誌
『官能劇画
川本 耕次(かわもと こうじ、1953年〈昭和28年〉5月3日[4] - 2022年〈令和4年〉12月26日[5][6])は、元みのり書房、アリス出版、群雄社出版の漫画編集者、官能小説家、カメラマン、ライター。批評集団『迷宮』メンバー。
伝説的自販機本『少女アリス』2代目編集長。三流SF漫画誌『Peke』編集長。『ロリコンHOUSE』監修者。後に実業家、ブロガー、アダルトメディア研究家に転身。WEBサイト『 ⇒ネットゲリラ』管理人[7]。三流劇画ブーム・ロリコンブームの仕掛け人といわれる[8][9]。
座右の銘は「ネットゲリラは潜水艦戦である。潜水艦戦に前線はない。自分に有利な時と場所で戦闘を開始する」。
来歴
漫画批評同人『迷宮』で三流劇画ブームを起こす「エロ劇画誌#三流劇画ムーブメント(1978年)」も参照
静岡県三島市出身。大学在学中から貸本劇画を研究していた縁で米沢嘉博や長谷川秀樹らと出会い、コミックマーケットの創設母体となった批評集団「迷宮」の集会に出入りする[3][10]。以後、コミックマーケット準備会の中核スタッフとして活動しながら、迷宮の機関誌『漫画新批評大系』に「三流劇画ミニマップ」と題した記事を全国三流劇画共闘会議名義で寄稿し、これが三流劇画ブームの直接的なきっかけとなった[11][12][13]。
後に川本は三流劇画ブームを次のように述懐・総括している。たった一人で「全国三流劇画共斗会議」を名乗るなんて人騒がせにもほどがあるという意見もあるだろうが、そのありもしない「全三共」の幻影にみんなが踊らされて論争がまきおこったんだから、トラブルメーカーを自認する僕としては満足だ[14]。三流劇画ブームというのが何かというと、1977年?78年頃なんだが『漫画大快楽』『漫画エロジェニカ』『劇画アリス』といった、漫画・劇画の世界でも最底辺だった雑誌をおいらが持ちあげて騒いで、最初は個人誌でやってたんだが、それが『漫画新批評大系』という、当時でもかなりの大部数が出ていたコミケ系の漫画評論同人誌につながり、そこから関西で出ていた『プレイガイドジャーナル』という情報誌で座談会が開かれるに至り、しまいには『別冊新評』という商業総合誌で特集までやったわけだ。まぁ、三流劇画ブームなんてぇのは実際には中身はあまりなくて、全共闘崩れみたいなアジテーションばかりが賑やかだったんだが、今にして思うと、あの時代を象徴するようなムーブメントではあったわけです[15]。
みのり書房でニューウェーブ漫画誌『Peke』創刊「ニューウェーブ (漫画)」も参照
その後、三流劇画の取材で訪問したみのり書房に入社して1977年10月から『官能劇画』の編集者となる[3]。