ロラン・バルト
Roland Barthes1969年
生誕 (1915-11-12) 1915年11月12日
フランス共和国・シェルブール=オクトヴィル
死没 (1980-03-26) 1980年3月26日(64歳没)
フランス・パリ
時代20世紀の哲学
地域西洋哲学
学派大陸哲学
構造主義
ポスト構造主義
記号学
研究分野記号学
文学理論
形而上学、認識論
倫理学
主な概念作者の死
零度のエクリチュール
影響を受けた人物
フェルディナン・ド・ソシュール
カール・マルクス
フリードリヒ・ニーチェ
ジークムント・フロイト
モーリス・ブランショ
ジャック・ラカン
ジャン=ポール・サルトル
ジョルジュ・バタイユ
ジュール・ミシュレ
ポール・ヴァレリー
シャルル・フーリエ
ルイ=フェルディナン・セリーヌ
ダンテ・アリギエーリその他多数
影響を与えた人物
ミシェル・フーコー
ジュリア・クリステヴァ
ジェラール・ジュネット
蓮實重彦その他多数
署名
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ロラン・バルト(Roland Barthes、1915年11月12日 - 1980年3月26日)は、フランスの哲学者、記号学者、批評家。高等研究実習院(Ecole pratique des hautes etudes)教授、コレージュ・ド・フランス教授を歴任した。 シェルブールに生まれ、バイヨンヌに育つ。ソシュール、サルトルの影響を受け、エクリチュールについて独自の思想的立場を築いた。歴史家にとどまらないミシュレの活動に着目した『ミシュレ』、『作者の死』の一編を収めた『物語の構造分析』、フランスのさまざまな文化・慣習を分析した『神話作用
思想・作風
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出典検索?: "ロラン・バルト" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2018年1月)
バルトの仕事の中でも頻繁に議論されるのが、『物語の構造分析』に収録されている「作者の死」である。本稿でバルトは、現代においても、大きな支配的な概念となっている「作者」という概念に疑問を投げかける。私たちは、ある芸術作品を鑑賞するとき、その作品の説明をその作品を生み出した作者に求めがちである。これは、作品を鑑賞するということは、作者の意図を正確に理解することであるという発想である。このことから、たとえばボードレールの作品はボードレールという人間の挫折のことであり、ヴァン・ゴッホの作品とは彼の狂気であるという発想が導き出せる。しかし、バルトは、この発想を「打ち明け話である」として批判する。このように作者=神という発想ではなく、作品とはさまざまなものが引用された織物のような物であり、それを解くのは読者であるとして、芸術作品に対してこれまで受動的なイメージしかなかった受信者の側の創造的な側面を本稿で強調した。この概念は、後年のバルトの作品でもよく言及されている。たとえば、『テクストの快楽』においても、この概念についての論考が見られる(『テクストの快楽』p120) 幼くして父を亡くし、女手一つで育てられたバルトは、非常に母親思いであったという。パリ大学で古典ギリシア文学を学んだあと、結核のために長期間に渡り療養所で暮す。療養期間を終えたあとは、各地でフランス語講師として働きながら思索をめぐらす。1953年、『Le Degre zero de l'ecriture』を発表、文学と社会の関係を鋭く分析したこの作品で、一躍時代の寵児になる。1962年から高等研究実習院指導教授。1977年、コレージュ・ド・フランス教授に就任した。1980年2月25日、交通事故にあい、1か月後の3月26日に亡くなった。 バルトは、構造主義者だと見なされる向きを嫌い、常に変容していった思想家だった。また、バルトは、生涯小説を発表することはなかったが、コレージュ・ドフランス講義における、『小説の準備』や『エクリチュールの零度』における書くことである、エクリチュールの論考が示すように、小説を書くことへの希求は常にあったと考えられる。 1970年、日本について独自の分析をした『表徴の帝国』(『記号の国』)も発表している。 1979年の映画『ブロンテ姉妹』に、19世紀の高名な作家ウィリアム・メイクピース・サッカレー役で出演している。ただし、台詞はほとんどない。
生涯
主な著作
Le Degre zero de l'ecriture, 1953
『零度の文学』森本和夫訳、現代思潮社、1965年
『零度のエクリチュール』渡辺淳・沢村昂一訳 みすず書房 1971年