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やノートページでの議論にご協力ください。ロムルス・アウグストゥルス
Romulus Augustulus
西ローマ皇帝
ロムルス・アウグストゥルス
在位475年10月31日 - 476年9月4日
出生460年
死去不明
王朝フラウィウス朝
父親オレステス
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ロムルス・アウグストゥルス(Romulus Augustulus, 460年 - 511年?536年)は、西ローマ帝国の皇帝(在位:475年 - 476年)。 ロムルス・アウグストゥルス(Romulus Augustulus)の名で知られているが、本名は『ロムルス・アウグストゥス (Romulus Augustus)』 。アウグストゥルスは、小アウグストゥス(Little Augustus)という意味のニックネームである。 彼は西ローマ帝国最後の皇帝であるが、その名は奇しくも、伝説上の王政ローマ建国の初代王ロムルスと帝政ローマの初代皇帝アウグストゥスの名を合わせたものだった。 ロムルス・アウグストゥルスは、父フラウィウス・オレステスによって475年10月31日に西ローマ皇帝として擁立された。しかし、それから一年も経たない476年9月4日にゲルマン人の将軍オドアケルによって退位に追い込まれた。ロムルス・アウグストゥルスを廃したオドアケルは、西ローマ皇帝位を東ローマ皇帝ゼノンに返上してローマ帝国のイタリア領主に任命され、全ローマ帝国唯一の皇帝となったゼノンの代理としてイタリアを統治した。通俗的に、この出来事をもって西ローマ帝国の「滅亡」とみなされている。しかし、すでにそれ以前から西ローマ皇帝は一切の権威を失っており、実権はオドアケルに代表されるゲルマン人の将軍たちが握っていた。西ローマ皇帝の廃止を西ローマ帝国の「滅亡」と結びつける表現については「誤解を招く不正確で不適切な表現[1]」として歴史学者より問題が指摘されている。 @media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}退位後のロムルス・アウグストゥルスは概して幸運だった。退位したときの彼はまだ若く、オドアケルはその命まで奪おうとはしなかった。息子ロムルス・アウグストゥルスを帝位につけた実の父オレステスはオドアケルに殺されたが、ロムルス・アウグストゥルス自身とその家族はカンパーニャに送られ、そこで恩給をもらい余生を過ごしている。後にオドアケルが敗れたときも、新たに権力者となったテオドリック大王から恩給をもらい続けることができた。
名前
即位と退位詳細は「西ローマ帝国#西ローマ帝国の「滅亡」」を参照オドアケルに退位させられるロムルス・アウグストゥルス
退位後のロムルス・アウグストゥルスとその血筋