ロマ
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この項目では、移動型民族について説明しています。

フランス人のモデルについては「ロマ・トニオロ」をご覧ください。

日本の漫画については「魔法行商人ロマ」をご覧ください。

ロマの旗非公式の推定による、ロマの人口が多い国
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ロマ(Roma、次節も参照、単数はロム)は、インド北部が起源と考えられ、中東欧を主として世界各地に居住する民族グループである[1]。英語の「ジプシー」など、欧州を中心にさまざまな呼称が使われているが、1971年に世界ロマ会議の出席者により従来の呼称は差別的ニュアンスが含まれているとして、「ロマ」の呼称を用いるよう決議された[1]

ただし「ロマ」は全体を指す名称ではなく、あくまで一部集団の呼称であるという認識から、従来より「ロマ」と呼ばれていた集団以外は、「ロマ」と呼称されることに否定的な声もある。

移動型民族、放浪の民とみなされることが多いが[2][3]、現代ではロマの多くが定住生活を営み、移動生活をするのは一部にすぎない[3]。ジプシーと呼ばれてきた集団が単一の民族であるとするステレオタイプは18世紀後半に作られたものであり[4][要ページ番号]、ロマでない集団との関係は不明である。
名称とアイデンティティ.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

この節の加筆が望まれています。
ヨーロッパ各地域における自称名の概略。ロマの荷馬車(1935年、ドイツ)最近のロマの荷車(イギリス)
各国語における外名「ロマの名前(英語版)」も参照

世界各地で流浪の民族史を重ねてきた経緯から、彼らはそれぞれの国で様々な外名 (exonym) で呼ばれてきた。

大きく分けて2つの系統があり、ひとつは「ヒターノ(スペインジプシー)」「ジプシー」など「エジプト人」に由来する呼称。もうひとつは「ツィンガニ」「ツィガーニ」などの系統の言葉であり、ドイツのカスパー・ポイサーによりビザンチン時代のギリシア語 Ατσ?γγανοι (Atsinganoi) から Αθ?γγανοι (Athinganoi)「不可触民、アンタッチャブル」へと遡れる言葉であるとされた[5]

現在でもこうした言葉が物乞い盗人麻薬の売人などの代名詞のように使われる場合がままあり、これらの呼称が「差別用語」として忌避される傾向もあるが、差別の隠蔽にとどまり必ずしも差別の解消とは繋がっていない[4][要ページ番号][注 1]
自称

ロマの祖であるロマニ系の人々は複数の経路で度々インド方面からヨーロッパへ移動してきたと考えられる。14世紀から19世紀に現代のルーマニアに当たる地域で奴隷とされた集団がルーマニア語の影響を受けたヴラハ系方言を話し言語学的にロマに近いと考えられている[5]。一方で東欧を迂回し中欧にたどり着いた集団はルーマニア語の影響のない非ヴラハ系方言を話していると考えられている[5]

1971年の第1回世界ロマ会議以降[4][要ページ番号]は、よりポリティカリー・コレクトな名称として、多くの集団の自称である roma[注 2]「ロマ」を呼称とすることが提唱された。EU はじめ各国の行政などもこの名称を採用している。ただし、この名は本来彼ら全体を代表するものではなく、この名を使わないグループも多数存在し、彼らの中には「ロマ」とは異なるアイデンティティをもち、「自分たちはロマではない」と主張する者もいる。以下に例を挙げる。
アッシュカリィ(Ashkali, セルビア語: Ашкали?е, A?kalije)
コソボ紛争で有名になった。
エジプシャン
アレキサンダー大王に従って移民したエジプト人の末裔であると自称する人々。1990年にはマケドニアで「ユーゴスラビア・エジプト人協会」を名乗る団体(会員数は公称1万5000人)が生まれたが、公的にはエジプト人の子孫と認定されていない[6]。ロムと呼ばれるのを嫌う人々がユーゴスラビアの崩壊に乗じてエジプトにアイデンティティを求めたものとされ、世界ロム会議からは「彼らは本当はロムなのに差別から逃げようとしているだけ」と批判されている[6]

ロマと同根のロマニ系の集団としてはヨーロッパでは中欧のドイツ語圏を中心にシンティ、イギリスにロマニチャル (romanichal) , 仏語圏にマヌーシュ (manouche) , 北欧やイベリアなどのカーレ (kale) , 東欧のルーマニア語圏にロミ(Romi, Romii, Rromi)などが知られている。シンティの祖先はパキスタン南東部のシンド地方に起源を持つともいわれる[7]

中近東のロマはゾットと自称するが、これはパンジャブ地方の一種族ヤットのアラビア語名である[7]。また中央アジアのロマはムルタニ(英語版)と自称するが、これはムルターンとの関連が疑われている[7]

また、ロマニー語と密接な関係にあると考えられているドマリ語を話すドム (Dom) と自称する集団が、中央アジアから北アフリカにかけて分布している。古代インドのサンスクリット語では、歌舞音曲をなりわいとする下層カースト民をドンバ(英語版)(別名チャンダーラ(英語版))と呼んでいた他、現代インドではヒンディー語が「さすらいの音楽家のカースト」を、パンジャブ語では流浪音楽家をそれぞれドムと呼んでおり、これらがロム(ロマ)という名称の起源と考えられている[7]

ロマの間ではロマ以外の人間をガージョと呼ぶ[8]
系統上

ロマの人種的分類については、現在でも定説が存在しないため、厳密にどの人種に分類できるかは、いまだに判明していない。

歴史的経緯をたどると、ロマは西暦1000年頃に、インドラージャスターン地方から放浪の旅に出て、北部アフリカヨーロッパなどへとたどり着いたとされる。旅に出た理由は定かではないが、西方に理想郷を求めた、などの説がある。彼らがヨーロッパにおいて史料上の存在として確認できるようになるのは15世紀に入ってからで、ユダヤ人と並んで少数民族として迫害や偏見を受けることとなる。ただしユダヤ人ほどこの事実は強調されていない。

最新の遺伝子研究ではインド先住民のドラヴィダ人との類似性が示唆されてきている[9]

ロマの中にも12の種族があり、エリー、カルデラーシュ、ジャンバジ、ロワリ、アラバジ、コバチ、トパナなどの名称があり、種族により異なったロマ語を話している[10]


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