ロマーン・ヤーコブソン
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ロマーン・オシポヴィチ・ヤーコブソン
Roman Osipovich Jakobson
Роман Осипович Якобсон

人物情報
生誕 (1896-10-11) 1896年10月11日
ロシア帝国モスクワ
死没 (1982-07-18) 1982年7月18日(85歳没)
アメリカ合衆国マサチューセッツ州ケンブリッジ
国籍 ロシア帝国, ロシア社会主義連邦ソビエト共和国, チェコスロバキア, アメリカ合衆国
出身校ラザレフスキー東洋言語学院,
モスクワ大学
配偶者Svatava Pirkova, Krystyna Pomorska
学問
研究分野言語学, 民俗学, 詩学, 神話学, 言語心理学, 情報理論, 記号論
特筆すべき概念有標性/無標性
影響を受けた人物フェルディナン・ド・ソシュール, ニコライ・トルベツコイ
影響を与えた人物クロード・レヴィ=ストロース, ロラン・バルト, ジョーゼフ・グリーンバーグ, Nicolas Ruwet, Friedemann Schulz von Thun, マイケル・シルヴァスティン, Dell Hymes, ジャック・ラカン, ジョルジョ・アガンベン, ポール・リクール, モリス・ハレ, ミシェル・フーコー
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ロマーン・オシポヴィチ・ヤーコブソン(Roman Osipovich Jakobson 英語: [?ro?m?n ?j??k?bs?n][1][2], ロシア語: Рома?н О?сипович Якобсо?н、1896年10月11日 - 1982年7月18日)は、ロシア人の言語学者。ハーバード大学マサチューセッツ工科大学など多数の大学で名誉教授を務めた。

言語学、詩学および芸術などの分野における構造分析の開拓、発展に多大なる寄与をなした。研究の対象領域は、音声学音韻論をはじめとする一般言語学の諸分野、スラヴ言語学、スラヴ文化史、スラヴ文学史、スラヴ民俗学詩学、比較韻律学、比較印欧神話学、児童言語学、言語病理学、言語心理学情報理論記号論などと広大である。
経歴

モスクワの裕福な家庭に生まれた[3]。ごく幼い頃から、の分析をはじめとして、言語に対する関心を育んだ。学生の頃、彼はモスクワ言語学サークル(英語版)で頭角を現し、モスクワアバンギャルド芸術および詩の活発な世界に参加した。

当時の言語学の主流は青年文法学派で、言語に関する唯一の科学的な研究は、通時的に言語の歴史および変遷を研究することであると主張されていた。一方、ヤーコブソンは、フェルディナン・ド・ソシュール構造主義の礎を築いたとされる人物)の業績に接触しており、言語の構造と、その基本的機能に焦点を当てた手法の開拓に力を注いだ。

1920年はロシアの大政変の一年であった。ヤーコブソンは自身の博士号のための研究を継続するためにプラハへ移動した。そこで、言語学史では「プラハ学派」と呼ばれる、学派の創立者の一人、ニコライ・トルベツコイと一緒だった(他に、ヴィレーム・マテジウス、セルゲイ・カルツェフスキー(フランス語版)など)。そこでの、 音声学音韻論における彼の多数の業績は、言語の構造と機能に対する彼の関心を発展させ続けるのを助けた。

1939年、ヤーコブソンは第二次世界大戦の開戦に際し、スカンディナヴィアに向けてプラハを去った。戦局が西方へ展開されるとともに、1941年ナチスの弾圧を逃れて彼はニューヨークへ渡った。そこには、知識人移民の大きなコミュニティ、高等研究自由学院(英語版)があった。そこにはフランスの大学から逃れて来た人々もいた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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