ロベルト・モレノ
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.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この名前は、ポルトガル語圏の人名慣習に従っています。第一姓(母方の姓)はプポ、第二姓(父方の姓)はモレノです。

ロベルト・モレノ
Roberto Moreno
ロベルト・モレノ (2007年)
基本情報
国籍 ブラジル
生年月日 (1959-02-11) 1959年2月11日(65歳)
出身地ロベルト・プポ・モレノ
Roberto Pupo Moreno
ブラジル
リオデジャネイロ

基本情報
略称表記MOR
F1での経歴
活動時期1982,1987,1989-1991,1992,1995
所属チーム'82 ロータス
'87 AGS
'89 コローニ
'90 ユーロブルン
'90-'91 ベネトン
'91 ジョーダン
'91 ミナルディ
'92 アンドレア・モーダ
'95 フォルティ
出走回数77 (42スタート)
タイトル0
優勝回数0
表彰台(3位以内)回数1
通算獲得ポイント15
ポールポジション0
ファステストラップ1
初戦1982年オランダGP
最終戦1995年オーストラリアGP
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基本情報
CARTチャンプカー・ワールド・シリーズでの経歴
所属ゲイルズ・レーシング
ペイトン/コイン・レーシング
ベッテンハウゼン・モータースポーツ
ニューマン/ハース・レーシング
プロジェクト・インディ
パックウェスト・レーシング
パトリック・レーシング
ハーデス・コンペティション
パシフィック・コースト・レーシング
活動時期1985-1986,1996-2001,2003,2007
出走回数120
優勝回数2
ポールポジション2
シリーズ最高順位3位 (2000)

ロベルト・プポ・モレノ(Roberto Pupo Moreno, 1959年2月11日 - )は、ブラジル・リオデジャネイロ出身のレーシングドライバー1988年には国際F3000のシリーズチャンピオンを獲得するなど実力はあるものの、スポンサーや運に恵まれず、F1においては多くの弱小チームを転々としたことで知られる。

名前のカタカナ表記は「ホベルト・モレーノ」の方が実際の発音に近いが、日本国内では一般に「ロベルト・モレノ」の表記が定着しているため、本記事でもそちらを採用する。
プロフィール
デビュー

1974年カートレースを始め、1979年にはイギリスに渡りフォーミュラ・フォードに挑戦。1981年にはイギリス国内のフォーミュラ・フォード選手権チャンピオンとなり、翌1982年イギリス・フォーミュラ3選手権にステップアップ。同年マカオGPで優勝した。
F1/F2/F3000時代ロータス91でオランダGPの予選に挑むモレノ(1982年)

1982年、イギリスF3での走りを評価したチーム・ロータスがモレノをテスト・ドライバーとして起用、3年間のテスト契約を結ぶ。オランダGPでは欠場するナイジェル・マンセルの代役としてロータスからF1参戦を果たしたが、予選通過に失敗し公式記録上のF1デビューを果たせなかった。以後F2CARTF3000など様々なカテゴリーを掛け持ちする生活が続く。1985年には来日してノバ・エンジニアリングに加入し全日本F2選手権にシーズン途中から参戦した。
F1時代
1987年

1987年日本GPでフランスのAGSよりF1に復帰し初の予選通過。公式記録上はこれが「F1デビュー」となった。続く最終戦オーストラリアGPでは6位でゴールし初入賞を果たした。
1988年

翌1988年にはフェラーリのテストドライバーとなり、翌年より全面施行される3.5リッター・NAエンジン規定に向けた先行開発マシン、フェラーリ・639の開発を任される。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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