ロブ・グロンコウスキー
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ロブ・グロンコウスキーRob Gronkowski
2019年
基本情報
ポジションタイトエンド
生年月日 (1989-05-14) 1989年5月14日(35歳)
出身地 アメリカ合衆国
ニューヨーク州アムハースト
身長:6' 6" =約198.1cm
体重:245 lb =約111.1kg
経歴
高校ウッドランドヒルズ高校
ペンシルベニア州チャーチル)
大学アリゾナ大学
NFLドラフト2010年 / 2巡目全体42位
初出場年2010年
初出場チームニューイングランド・ペイトリオッツ
所属歴

2010-2018ニューイングランド・ペイトリオッツ
2020-2021タンパベイ・バッカニアーズ

受賞歴・記録
スーパーボウル制覇(4回)
第49回第51回第53回第55回
オールプロ選出(5回)
2011・2012・2014・2015・2017
プロボウル選出(5回)
2011・2012・2014・2015・2017
その他受賞・記録
AFCチャンピオン2回 (2011, 2014)
カムバック賞 (2014)
週間新人賞 (2010)
TDレシーブ数1位 (2011)
10TD以上を4シーズン記録した初めてのTE
TEによる歴代最多TD (17, 2011年)
TEによる最多レシーブ獲得ヤード (1327, 2011年)
NFL 通算成績

レシーブ数621回
レシーブ獲得ヤード9,286ヤード
TDレシーブ92回
Player stats at ⇒NFL.com


Player stats at PFR

ロバート・ジェームス・グロンコウスキー(Robert James "Rob" Gronkowski、1989年5月14日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州出身の元アメリカンフットボール選手。ポジションはタイトエンド (TE) 。2010年シーズンから2018年シーズンまでNFLニューイングランド・ペイトリオッツに所属していた。カレッジフットボール時代はアリゾナ大学でプレーし、2010年のNFLドラフト二巡目でペイトリオッツに指名された。愛称はグロンク (Gronk) 。2018年シーズンをもって一旦引退したが、2020年シーズンから復帰し、トレードでタンパベイ・バッカニアーズに移籍した[1]。一部メディアで「グロンカウスキー」という表記も見られる[2]

2011年、二年目のシーズンを迎えたグロンコウスキーは17タッチダウン (TD) レシーブを含む18TDを記録し、1327ヤードを獲得した。これらはいずれもNFLにおけるTEのシーズン記録となっている。このシーズン、彼はリーグ最多のTDレシーブを記録したが、これはTEとしてはNFL史上はじめての偉業である。また彼は、ルーキーイヤーから3シーズンで25以上のTDを記録したはじめてのTEとなった(43試合に出場し38TD)。
経歴
生まれと家族

グロンコウスキーはニューヨーク州アムハーストで父ゴードン・グロンコウスキーと母ダイアン・ウォルタースの間に5人兄弟の四男として生まれた[3][4]。長男のゴーディーはジャクソンビル大学(英語版)で野球をプレーし、2011年に北米独立リーグのウースター・トルネードズにロースター入りした。次男のダン(英語版)はメリーランド大学でアメリカンフットボールをTEとしてプレーし、2009年のNFLドラフトで指名された。三男のクリス(英語版)はメリーランド大学で2年間アメリカンフットボールをプレーした後アリゾナ大学に転校した。五男のグレン(英語版)はカンザス州立大学に通っていた[5]。曾祖父イグナティウス・グロンコウスキー(英語版)は1924年のパリオリンピックの自転車競技米国代表選手である[6]
高校時代

グロンコウスキーはニューヨーク州ウィリアムズビル(英語版)で育てられ、ウィリアムズビル北高校に3年間通った。アメリカンフットボールをTEとしてプレーする傍ら、バスケットボールセンターとしてプレーした。3年生のとき、オフェンスとして36レシーブ648ヤード7TD、ディフェンスとして73タックル6QBサックを記録し、オール西ニューヨークのファーストチーム、オールステートのセカンドチームに選出された[7]

2006年、4年生になったグロンコウスキーはペンシルベニア州ピッツバーグ郊外へ引っ越し、同州チャーチルにあるウッドランドヒルズ高校に編入した。当初、西ペンシルベニア学生競技リーグによって試合出場資格を剥奪されていたが[8]、その判断が覆されると、試合に出場し8レシーブ152ヤード4TDを記録した。高校時代、グロンコウスキーは雑誌『スーパープレップ』のオールアメリカン、『プレップスター』のオールアメリカン、『アソシエーテッドプレス』のクラス4-Aオールステート、『ピッツバーグポストガゼット』の「ファビュラス22」とファーストチームオールカンファレンス、『ペイトリオットニュース』の「プラチナ33」、『ピッツバーグトリビューンレビュー』の「テリフィック25」に選出された[7]。また彼はケンタッキー大学、アリゾナ大学、クレムゾン大学ルイビル大学、メリーランド大学、オハイオ州立大学シラキュース大学にスカウトされた[9]
大学時代

高校卒業後、グロンコウスキーはアリゾナ大学に入学し、2007年から2009年までの3年間、同大学のアメリカンフットボールチーム、アリゾナ・ワイルドキャッツでプレーした。ルーキーイヤーの2007年には28レシーブ525ヤード6TDを記録した。1レシーブあたり平均18.8ヤードはチームトップの数字であり、合計獲得ヤードは同チームのTEとして歴代最高の数字であった。この年のグロンコウスキーは、『ライバルズドットコム』の新人オールアメリカン、『ザ・スポーティングニュース』の新人オールアメリカンと新人Pac-10と オールPac-10奨励賞に選出された。

グロンコウスキーは2008年シーズンの最初の3試合を欠場したものの、47レシーブ672ヤードを記録しチームトップの10TDをあげた。このうち、出場した最初の2試合で5つのTDを記録している。また、2度のジョン・マッキー全米週間最優秀TE賞に選出された。このうち一つはオレゴン大学に敗戦した時に受賞したものであるが、この試合で彼は12レシーブ143ヤードを記録している。彼は一試合の成績、シーズン成績、通算成績のいずれにおいてもチームのレシーブ、獲得ヤード、TD数のTE歴代最高記録を更新した。この年の彼は、『アソシエーテッドプレス』のオールアメリカンサードチームとオールPac-10ファーストチームのTEに選出された[7]

2009年シーズンを迎える際、グロンコウスキーはロンバルディ賞(英語版)カレッジフットボール最高ラインマン・ラインバッカー候補にあげられた[10]。しかし背中の手術のためこのシーズンを欠場したため、彼のドラフト評価は下がった[11]
大学時代の通算成績


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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