ロビンソン・チェコ
Robinson Checo基本情報
国籍 ドミニカ共和国
出身地サンティアゴ州サンティアゴ・デ・ロス・カバリェロス
生年月日 (1971-09-09) 1971年9月9日(52歳)
身長
体重6' 1" =約185.4 cm
185 lb =約83.9 kg
選手情報
投球・打席右投両打
ポジション投手
プロ入り1989年 アマチュアFA
初出場CPBL / 1994年3月18日
NPB / 1995年4月12日
MLB / 1997年9月16日
最終出場CPBL / 1994年10月13日
NPB / 1996年6月30日
MLB / 1999年10月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
サンティアゴ高校
カープアカデミー(1990 - 1991)
広島東洋カープ(1992 - 1993)
時報イーグルス (1994)
広島東洋カープ (1995 - 1996)
ボストン・レッドソックス (1997 - 1998)
ロサンゼルス・ドジャース (1999)
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ロビンソン・ペレス・チェコ(Robinson Perez Checo, 1971年9月9日 - )は、ドミニカ共和国サンティアゴ州サンティアゴ・デ・ロス・カバリェロス出身の元プロ野球選手(投手)。
台湾球界での登録名は、奇戈。 1989年にMLBのカリフォルニア・エンゼルスと契約した。 1992年に日本プロ野球(NPB)の広島東洋カープと契約する。同年は1軍での出場はなかった[1]。 1993年オフに肘を痛めたということもあり、自由契約となった[1]。 1994年は中華職業棒球聯盟(CPBL)の時報イーグルスでプレーした。 1995年に古巣広島東洋カープと正式に選手登録を結んだ[2]。4月12日にNPB初登板し、完封勝利でのデビュー戦となった[1]。シーズン前半戦は10勝5敗を記録し、NPBオールスターゲームに初選出された。第2戦では先発投手を務めた[2]。しかし、後半戦に入ると、8月22日のヤクルト戦前に突如、「新たなボーナス契約を結んでくれなければ、今後は先発しない」と登板を拒否した。広島は「投げないのなら2軍へ行け」と突っぱねると、しぶしぶ先発登板した[2]。同年はチーム最多の15勝を記録した[2]。オフにはMLB挑戦のために契約解除を広島に通告[2]。訴訟にまで発展し、ダン野村が代理人となって週刊誌上で告発記事などが載り揉めた。結局1年間プレーすることで球団と合意する[2][3]。 1996年5月18日の対阪神戦(甲子園)では、ノーヒットノーランまであと1人のところで久慈照嘉に安打を打たれ、快挙を逃した。この年は、6月末に故障を理由に離脱[2]すると、後半戦は一度も1軍登板がないままシーズンを終えた。
経歴