ロヒンギャ
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ロヒンギャ
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難民となったロヒンギャの人々(2012年)
総人口
1,800,000
居住地域
 ミャンマー800,000[1]
 サウジアラビア400,000[2]
 バングラデシュ400,000[3][4][5]
 パキスタン200,000[6][7][8]
 タイ100,000[9]
 マレーシア40,000[10]
 インド14,000以上[11]
言語
ロヒンギャ語
宗教
イスラーム教
関連する民族
ベンガル人
民族旗

ロヒンギャ(: Rohingya people)とは、ミャンマーラカイン州(旧アラカン州)に住む人々である。英語や現地ミャンマーではロヒンジャ、隣国タイ王国ではロヒンヤと発音される[12][13]
概要
名称

ミャンマーではロヒンギャという集団の存在自体が否定されており、バングラデシュから流入した不法移民であるとの主張から、ベンガル人という意味のベンガリ(ビルマ語: ????????)と呼ばれている。

本項では、原則としてロヒンギャと表記し、ミャンマー側見解など、他の表記が必要な時は「バングラ人」「ベンガル人」「ベンガル系ムスリム」などカギカッコつきで表記する。

日本は、「バングラ系イスラム教徒のロヒンギャ」[14]と表記している。外務大臣記者会見などではロヒンギャの語は避け、「ラカイン州のムスリム」などの表現を使っている[15]

また、国際赤十字では、「政治的・民族的背景および避難されている方々の多様性に配慮」という理由で「ロヒンギャ」という表現を使用しないとしている[16]
語源

ロヒンギャという語は、はじめ「ラハム(Raham)」と呼ばれていたものが、後に「ローハン(Rhohang)」となり、そして最後に「ロヒンギャ(Rohingya)」(またはロヒンジャ)へと変化したとする説がある[誰?]。イギリスの軍医、フランシス・ブキャナン(1762年 - 1822年)は、アラカン(ラカイン)定住のムスリムについて、ルーインガ(Rooinga)と自称していると記録している[17]
社会
居住ミャンマーの民族分布。ミャンマーのロヒンギャは、バングラデシュ国境沿いの地域(黄緑色の領域)に居住する

ロヒンギャの居住地域は、ミャンマー連邦共和国西部にあるヤカイン州(旧アラカン州、古い発音ではラカイン州と発音)のブティーダウン(Buthidaung)とマウンドーの両市と、バングラデシュ人民共和国東部にあるチッタゴン管区コックスバザール周辺のマユ国境一帯にある。バングラデシュへ難民化したり、ミャンマーへ再帰還したりしたため、現在では居住地域が両国に跨っている。
宗教

ロヒンギャではイスラム教が主流である。
生業

主に農業で生計を営むが、商人としての交易活動も盛んである。

しかし、ミャンマーでは「不法滞在者」と見なされているため、移動の自由は認められておらず、修学も、就職も厳しく制限されている[18]。そのため、農業や日雇い以外の仕事に就くことは困難である[19]
人口

ミャンマーにおけるロヒンギャの人口規模は80万人と推計[20]されるが、政府当局の統計の信憑性が低いと考えられるため正確な数値は不明である。

2017年以降のミャンマー国軍警察自警団などによる攻撃で、国外に逃れたロヒンギャは60万人を超えており、過半数がミャンマーを追われた計算になる。2017年8月28日時点でアントニオ・グテーレス国連事務総長は、8月25日以降の難民は50万で、さらに25万人が潜在的な追放の危機にあるとした[21]
民族

チッタゴンから移住したイスラーム教徒がロヒンギャであるとの学説があるが、英領インドから英領ビルマへ移住したムスリムには下記のように4種の移民が存在しており、実際には他のグループ[注釈 1]と複雑に混じり合っているため弁別は困難である。

チッタゴンからの移住者で、特に英領植民地になって以後に流入した人々。

ミャウー朝時代(1430-1784年)の従者の末裔。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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