ロバート・T・モリス
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ロバート・タッパン・モリス
Robert Tappan Morris
ロバート・モリス(2008年)
生誕 (1965-11-08) 1965年11月8日(58歳)
アメリカ合衆国
住居 アメリカ合衆国
国籍 アメリカ合衆国
別名RTM
職業実業家
マサチューセッツ工科大学教授
Yコンビネータ共同設立者[2]
著名な実績モリスワーム
Viaweb(英語版)
Yコンビネータ
刑罰3年間の保護観察、400時間の社会奉仕活動、罰金10,050ドルと管理費用[1]
犯罪者現況刑期満了
親ロバート・H・モリス(英語版)
アン・ファーロウ・モリス
公式サイト ⇒pdos.csail.mit.edu/rtm

動機モリスが発見したセキュリティ上の欠陥を悪用して、コンピュータネットワーク上の現在のセキュリティ対策の不備を実証する[1]
有罪判決合衆国法典第18編第1030条 18 U.S.C. § 1030(コンピュータ詐欺と濫用に関する法律(英語版) (CFAA)[1]

ロバート・タッパン・モリス(Robert Tappan Morris、1965年11月8日 - )は、アメリカ合衆国計算機科学者であり、実業家である。彼は、1988年にインターネット初のワーム[3]であるモリスワームを製作したことで広く知られている[4]

モリスはワームを公開したことで起訴され、1986年に制定されたばかりのコンピュータ詐欺と濫用に関する法律(英語版) (CFAA)に基づいて有罪判決を受けた最初の人物となった[1][5]。彼はその後、最初のウェブアプリケーションの1つであるオンラインストアViaweb(英語版)[6]を共同設立し、ポール・グレアムと共にベンチャーキャピタルの資金調達会社Yコンビネータを設立した。

その後、マサチューセッツ工科大学(MIT)の電気工学・計算機科学科の教員となり、2006年にテニュアを授与された[7]。2019年には全米技術アカデミー会員に選出された。
若年期と教育

モリスは1965年、暗号学者のロバート・H・モリス(英語版)とアン・ファーロウ・モリスの間に生まれた。父はベル研究所の計算機科学者で、MulticsUNIXの設計に携わり、後に国家安全保障局(NSA)の一部門である国家コンピュータセキュリティセンターの主任科学者となった。

モリスはニュージャージー州ロングヒル・タウンシップのミリントン地区で育ち[8]、1983年にデルバートン・スクールを卒業した[9]

モリスはハーバード大学に通い、その後コーネル大学大学院に進学した。コーネル大学在学の最初の年に、彼はコンピュータワームを設計し、当時まだ発展途上だったインターネット上の多くのコンピュータを混乱させた。これが原因で、1年後に起訴された。

有罪判決を受けた後、彼はハーバード大学に戻り、孔祥重(英語版)の指導の下で1999年Ph.D.を取得した。
モリスワーム詳細は「Morris worm」を参照

モリスのコンピュータワームは、彼がコーネル大学の大学院生だった1988年に開発された[10] 。同年11月2日、彼は所属するコーネル大学ではなく、マサチューセッツ工科大学(MIT)からこのワームをリリースした[10]。このワームは次のような脆弱性を悪用して、標的となるシステムに侵入した。

UNIXのsendmailプログラムのデバッグモードにある穴

fingerdネットワークサービスのバッファオーバーフロー

リモートシェル (rsh) を使ったリモート実行 (rexec/rsh) を介し、パスワードを必要としないネットワークログインを設定している人が有効にする遷移的信頼。

このワームは、見つけたそれぞれのコンピュータをチェックして、すでにワームに感染しているかどうかを判断し、感染していないコンピュータには自分自身をコピーするようにプログラムされていた。しかしモリスは、コンピュータが感染していないのに感染していると報告するようにしてワームに対抗しようとするシステム管理者がいるかもしれないと考えた。そのため、感染状態の質問に対する応答に関わらず、14%の確率で自分自身を必ずコピーするようにした。

この永続性は設計上の欠陥であり、システム負荷を発生させて管理者の注意を引きつけ、対象となるコンピュータを混乱させてしまった。その後の裁判では、このワームによる「潜在的な生産性の損失」と、様々なシステムからワームを除去するためにかかるコストは、200ドルから53,000ドルと見積もられた[10]
刑事告発

1989年7月26日、モリスは合衆国法典第18編第1030条 18 U.S.C. § 1030(コンピュータ詐欺と濫用に関する法律(英語版) (CFAA))に違反したとして起訴された[1]。彼は、この法律で起訴された最初の人物だった。1990年12月、彼は3年間の保護観察、400時間の社会奉仕活動、罰金10,050ドルと管理費用の判決を受けた[1]。彼は控訴したが、翌年3月に却下された[3]。裁判中にモリスが述べた動機は、「(自分が)発見したセキュリティ上の欠陥を悪用することで、現在のコンピュータネットワークのセキュリティ対策が不十分であることを証明すること」だった[1]。彼は1994年に刑期を終えた。
その後の生涯と業績

モリスの主な研究テーマはコンピュータネットワークアーキテクチャで、Chordなどの分散ハッシュテーブルやRoofnet(英語版)などの無線メッシュネットワークの研究を行っている。

ポール・グレアムは彼の長年の友人であり、共同研究者でもある。彼らは2つの会社を共同設立し、グレアムは著書『ANSI Common Lisp』をモリスに献呈し、オンラインストアのウェブページを生成するプログラミング言語をモリスにちなんでRTML(英語版)(Robert T. Morris Language)と名付けた。グレアムはモリスを「個人的な英雄」の一人として挙げており、「彼は決して間違っていない」と言っている[11]
略歴

1983年 - ニュージャージー州モリスタウンのデルバートン・スクールを卒業[9]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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