ロバート・M・パーシグ
ロバート・M・パーシグ(2005年)
現地語名Robert M. Pirsig
誕生Robert Maynard Pirsig
(1928-09-06) 1928年9月6日
アメリカ合衆国 ミネソタ州ミネアポリス
死没2017年4月24日(2017-04-24)(88歳)
アメリカ合衆国 メイン州サウス・バーウィック
ロバート・メイナード・パーシグ(Robert Maynard Pirsig [?p??rs??]、1928年9月6日 - 2017年4月24日)は、アメリカ合衆国の小説家、哲学者である。1974年の哲学的小説(英語版)『禅とオートバイ修理技術』で知られる[1]。他に、1991年の"Lila: An Inquiry into Morals"のほか、妻で編集者でもあるウェンディ・パーシグとの共著の"On Quality: An Inquiry Into Excellence: Selected and Unpublished Writingsが2022年に刊行予定である[1]。 1928年9月6日、ミネソタ州ミネアポリスで生まれた[2]。ドイツとスウェーデンの血を引いている[3]。父は法学者のメイナード・パーシグ
若年期
パーシグは早熟な子供で、9歳のときに知能指数が170と言われ、ミネアポリスのブレイク・スクールでいくつかの学年を飛び級した[3][5]。1943年5月、14歳でマーシャル大学付属高校を卒業した。高校では学年誌の編集を担当していた。その後、ミネソタ大学で生化学を専攻した。『禅とオートバイ修理技術』では、自分を模したと思われる主人公[6]を、専門的なキャリアパスではなく、科学そのものに興味を持つ非典型的な学生であると表現している。
大学での勉強の過程で、ある現象に対して複数の原因が考えられることに興味を持ち、科学的な方法における仮説が果たす役割や、その原因となる情報源に注目するようになった。このような問題に夢中になっていたことから、成績が落ち、大学から追放された[7]。
1946年にアメリカ陸軍に入隊し、1948年まで韓国に駐留した。除隊後はワシントン州シアトルで数か月暮らした後、ミネソタ大学に戻り、1950年に学士号を取得した[8]。その後、インドのバナラス・ヒンドゥ大学(英語版)やシカゴ大学で哲学を学んだ。1958年、ミネソタ大学でジャーナリズムの修士号を取得した[7][9]。
キャリア(英語版)の講師に就任し、クリエイティブ・ライティング(英語版)の課程を2年間教えた。その後、イリノイ大学シカゴ校で教鞭をとった[10]。
パーシグは存命中に2冊の本を刊行した。よく知られているのは1974年の『禅とオートバイ修理技術』で、これは哲学的な「質(英語版)」の本質を追求したものである。表向きは、1968年に息子のクリスらと一緒にミネアポリスからサンフランシスコまでオートバイで旅をしたときの様子を一人称で語った(英語版)小説の体をとりつつ、西洋文化(英語版)の根底にある形而上学を探求している。また、アリストテレスの哲学を、普遍的なものの存在を認める普遍主義者と、ソクラテスとその弟子プラトンが対立したソフィストとの間で続いている論争の一部として解釈するなど、哲学の歴史を簡単にまとめている。