ロバート・ロックウッド・ジュニア
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ロバート・ロックウッド・ジュニア

基本情報
出生名Robert Lockwood, Jr.
別名Robert Jr. Lockwood
生誕1915年3月27日
米国アーカンソー州ターキー・スクラッチ
死没 (2006-11-21) 2006年11月21日(91歳没)
米国オハイオ州クリーブランド
ジャンルブルース
職業ギタリスト、歌手
担当楽器ギター
活動期間1930年代?2006年
レーベルブルーバード・レコード
デルマーク・レコード
ジタン・レコード
共同作業者サニー・ボーイ・ウィリアムソンII
B.B.キング
ジョニー・シャインズ

ロバート・ロックウッド・ジュニア(Robert Lockwood Jr.または Robert Jr. Lockwood、1915年3月27日 - 2006年11月21日, 91歳没)は、アメリカ合衆国出身のブルースギタリスト歌手1950年代から1960年代にかけてチェス・レコード[1]をはじめとするシカゴのレベールと契約し、作品を残した。また、長きに渡ってサニー・ボーイ・ウィリアムソンIIの共演者であったことでも知られている。
目次

1 来歴

1.1 幼少期

1.2 プロ活動初期

1.3 円熟期へ

1.4 晩年の活躍


2 ディスコグラフィー

3 関連項目

4 脚注

5 出典

6 外部リンク

来歴
幼少期

アーカンソー州ヘレナの西に位置する村、ターキー・スクラッチ生まれた。8歳の頃から彼の父親の教会でオルガンを習い始めた。両親は離婚し母親に引き取られたが、彼女が再婚した相手が後に広く知られることになるブルース・ミュージシャン、ロバート・ジョンソンだった。ロックウッドは未だ10歳頃、彼からギターを教わり出した。ジョンソンの教え方は手本を1度切りしか見せてはくれない厳しいものだったが、一度基礎を理解したロックウッドはそれを砂漠が水を浸み込ませるように吸収していった。ロックウッドはさらに、ジョンソンから演奏のタイミングやステージでの立ち振る舞いなど、プロのミュージシャンとしての数々を教わった。それらは後に、ジョンソンの音楽的な個性やプロ魂を継承するロバート・ジュニア・ロックウッドのふたつ名を彼に与えることとなった。
プロ活動初期

15歳の頃にはヘレナ地区のパーティーなどでプロとしての演奏をこなしていたロックウッドは、ジョンソンやサニー・ボーイ、ジョニー・シャインズらともしばしば共演していた。1930年代、彼はジューク・ジョイント(ブルースを聞かせるくだけた盛り場)やフィッシュ・フライ(ジューク・ジョイントなどで料理「フィッシュ・フライ」を主餐に行われた週末のパーティー)、時にはストリートミュージシャンとしてミシシッピ川のデルタ地帯一帯で演奏活動を行った。公式ページによると、サンフラワー河の両岸でギターを爪弾くロックウッドと継父ジョンソンの演奏を1km離れた橋の上から聞いたクラークスデイルの人々は、どちらがどちらか聞き分けられない程に、既に彼の演奏技術は継父と遜色無いレベルに達していたとの逸話を伝えている。

1938年から1939年にかけて、サニー・ボーイとクラークスデイルで共演。また1938年前後には、メンフィスで、ハウリン・ウルフを始めとするブルース・ミュージシャンと共演している。1939年から1940年にかけては活動域を拡げ、ミズーリ州セントルイスイリノイ州シカゴ、ヘレナの3か所を行き来して活動した[2]。またこの頃、メンフィスでB.B.キングとステージを共にしたことがあり、ロックウッドは彼に音楽上の影響を及ぼしたとも言われている。
円熟期へ

1941年、ロックウッドはドク・クレイトンと自身初のレコード録音となった『ブルーバード』セッションをイリノイ州オーロラ市で行った。


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