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ロバート・ロジャーズ
Robert Rogers
ロバート・ロジャーズの真正の肖像画は無い。この絵は画家が想像で描いたもの
渾名Wobomagonda[1]'
("白い悪魔")
生誕1731年11月7日
マサチューセッツ湾植民地メシューエン
死没1795年5月18日
イングランド、ロンドン
所属組織 イギリス陸軍
軍歴1757年-1766年
1776年
最終階級中佐
戦闘
ジョージ王戦争
フレンチ・インディアン戦争
ポンティアックの反乱
Battle of Bloody Run
アメリカ独立戦争
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ロバート・ロジャーズ(英: Robert Rogers、1731年11月7日-1795年5月18日)は、植民地時代のアメリカ合衆国の開拓地で活躍した人物である。フレンチ・インディアン戦争とアメリカ独立戦争ではイギリス陸軍に従軍した。フレンチ・インディアン戦争の時に有名になったロジャーズ・レンジャーズを組織化し指揮した[2]。 ロジャーズは1731年11月7日に、現在のマサチューセッツ州北東部の小さな町、マスーアンで、ジェイムズ・ロジャーズとメアリー・マクファトリッジ・ロジャーズ夫妻の息子として生まれた。当時のメシューエンはアルスター・スコッツ開拓者がニューハンプシャーの未開の荒野に移動する時の出発点になっていた[3]。 1739年、ロジャーズが8歳の時、一家は現在のニューハンプシャー州コンコード近く、グレートメドウ地区に移住した[4]。アイルランドからの移民だった父は広さ2,190 エーカー (8.8 km2) に開拓地を設立し、デリーの丘陵性の土地に因んでムンターロニーと名付けた。ロジャーズ自身はその子供時代の住み処を「マウンタロナ」と呼んでいた。この地は後にダンバートンと改名された[3]。 1740年、ヨーロッパでオーストリア継承戦争(1704年-1748年)が勃発し、1744年には北アメリカに拡大してジョージ王戦争(1744年-1748年)と呼ばれた。ロジャーズは1746年にニューハンプシャー民兵隊の中でダニエル・ラッド大尉の斥候中隊で、また1747年にはエベネザー・イーストマンの斥候中隊で1兵卒として従軍し、ニューハンプシャーのフロンティアを守った[5]。 1754年、ロジャーズは偽造者の一団と関わるようになり、告訴されたが、裁判に掛けられることはなかった[4]。
初期の経歴
フレンチ・インディアン戦争詳細は「フレンチ・インディアン戦争」および「ロジャーズ・レンジャーズ」を参照フレンチ・インディアン戦争の諷刺画、後にアメリカ独立戦争でも使われた画家によるロジャーズの想像画