オーストラリアの政治家ロバート・ゴードン・メンジーズSir Robert Gordon Menzies
生年月日 (1894-12-20) 1894年12月20日
出生地 オーストラリア ビクトリア州ジェパリット
没年月日 (1978-05-15) 1978年5月15日(83歳没)
死没地 オーストラリア ビクトリア州マルバーン
出身校メルボルン大学
所属政党(統一オーストラリア党
サー・ロバート・ゴードン・メンジーズ(英語: Sir Robert Gordon Menzies KT PC FRS、1894年12月20日 - 1978年5月15日) は、オーストラリアの政治家。第12代首相を務めた。自由党の創設において中心的な役割を果たし、その政策と幅広いアウトリーチを定義した。なお首相としての在任期間は最長であった。 1894年12月20日にビクトリア州ジェパリットに誕生する。彼には2人の兄・姉・弟がおり、メンジーズはオーストラリア生まれにして2人の両親を持つ最初の首相であった。父親はバララット、母親はクレスウィックで誕生した。彼の祖父母はビクトリア朝のゴールドラッシュによってオーストラリアに引き寄せられていた。青年時代はメルボルン大学で法律学を学び、メルボルン有数の弁護士となる。 1932年から34年までヴィクトリア州副首相を務め、その後連邦議会議員に転ずる。1934年4月、ジョゼフ・ライオンズ
経歴
生い立ち
政界
1949年の連邦選挙においてメンジーズは保守連合を勝利へと導き首相に返り咲いた。ラジオを通じて促進された家と家族へのアピールは、経済が成長し、中産階級の価値観が普及するにつれて、冷戦に対する恐怖もあり国民の時代精神と一致した。メンジーズは2期目に7回連続で選挙に勝利し、最終的に1966年1月に首相を辞任した。
1963年3月29日、シッスル勲章を授与された[2]。1965年11月11日[3]から1978年に死去するまで五港長官(英語版)を務めた[4][5]。