ロバート・ボルト
[Wikipedia|▼Menu]

ロバート・ボルト
Robert Bolt
生年月日 (1924-08-15)
1924年8月15日
没年月日 (1994-02-21) 1994年2月21日(69歳没)
出生地 イングランド
グレーター・マンチェスター
死没地 イングランド
ピーターズフィールド
国籍 イギリス
職業脚本家 劇作家
配偶者サラ・マイルズ1967年-1975年1988年-1995年

 受賞
アカデミー賞
脚色賞
1965年ドクトル・ジバゴ
1966年わが命つきるとも
ニューヨーク映画批評家協会賞
脚本賞
1966年『わが命つきるとも』
英国アカデミー賞
英国脚本賞
1962年アラビアのロレンス
1966年『わが命つきるとも』
ゴールデングローブ賞
脚本賞
1965年『ドクトル・ジバゴ』
1966年『わが命つきるとも』
1986年ミッション
トニー賞
演劇作品賞
1962年『すべての季節の男』
その他の賞

テンプレートを表示

ロバート・ボルト、CBE: Robert Oxton Bolt, CBE、1924年8月15日 - 1995年2月21日)はイギリス劇作家脚本家。『アラビアのロレンス』などの映画脚本で主に知られる[1]
来歴

マンチェスターの小さな商店主の家に生まれ[2]、マンチェスター・グラマースクール(英語版)、マンチェスター大学で学んだ[1]。1943年-1946年の間イギリス空軍で兵役に就き、のち同大学に戻り、さらにエクセター大学で学んだ[1]。1952年-1958年の間、Millfield School (en) で英語と歴史の教鞭をとり、その巧みな授業で名物教師となった[1]。この頃、教員として働くかたわらでラジオドラマを執筆し、さらに舞台エージェント Peggy Ramsay (en) の勧めで舞台演劇の劇作を始めた[3]。1957年の舞台演劇『花咲くチェリー』で一躍イギリス中の注目を浴びた[1][4]

1960年代から1970年代にかけ、映画および舞台演劇の脚本を相次いで手がけ、そのいくつかで著名な賞を受けた。1979年に脳卒中の発作から右半身不随となり、その後はリハビリに励みつつ、左手で電動ワードプロセッサを動かし執筆を続けた[1]。1995年、ハンプシャーにて没した[1]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:37 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef