ロバート・ボイル
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ロバート・ボイル
Robert Boyle (1627?91)
生誕1627年1月25日
アイルランド王国 ウォーターフォード県 リズモア(英語版)
死没1691年12月31日(64歳)
イングランド王国 ロンドン
研究分野物理学化学
主な業績ボイルの法則、近代化学の創始者
影響を
受けた人物ガリレオ・ガリレイオットー・フォン・ゲーリケフランシス・ベーコン
プロジェクト:人物伝
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サー・ロバート・ボイル(: Sir Robert Boyle, FRS, 1627年1月25日 - 1691年12月31日)は、アイルランド・リズモア(英語版)出身の自然哲学者、化学者物理学者発明家神学に関する著書もある。ロンドン王立協会フェロー[1]ボイルの法則で知られている[2]

ボイルの研究は錬金術の伝統を根幹としているが、近代化学の祖とされることが多い。特に著書『懐疑的化学者』は化学という分野の基礎を築いたとされている。
経歴
生い立ち両親が祀られている聖パトリック大聖堂にあるロバート・ボイルを表していると見られる少年像

1627年、アイルランド・ウォーターフォード県リズモアに生まれる。初代コーク伯爵リチャード・ボイルとキャサリン・フェントン夫妻の7番目の息子、14番目の子である。3歳の時に妹マーガレットが産まれるが、その時の産褥で母を失う[3][4]

父は1588年にアイルランドに赴き、復帰地副管理官となり、ロバートが生まれたころには大地主になっていた。兄たちと同様、幼いころに現地の一家に里子に出された[5]。その結果ボイル家の子らは4年ほどで十分にアイルランド語を理解し、通訳ができるようになった[6]。ロバートはラテン語ギリシャ語フランス語を学び、1635年10月には8歳で兄の1人フランシス・ボイルと一緒にイングランドイートン・カレッジに送られた[3][7][8]。当時、父の友人ヘンリー・ウォットン(英語版)が校長を務めていた。

イートン・カレッジでは、父が家庭教師ロバート・カリュー(Robert Carew)を雇い、息子たちの教育を任せたが、ボイルはあまり家庭教師の言うことを聞かなかった[6]。イートンで3年間を過ごした後、1638年にボイルは兄フランシスとスイス人家庭教師と共にグランドツアーに出かけ、スイスジュネーヴで留学中に宗教的回心を体験、1641年にはイタリアを訪れ、その年の冬はフィレンツェで過ごし、ガリレオ・ガリレイに師事した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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