ロバート・ゴードン
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この項目では、アメリカのミュージシャンについて説明しています。

カナダのアイスホッケー選手ロバート・ゴードン・オアについては「ボビー・オア」をご覧ください。

アメリカの経済学者については「ロバート・J・ゴードン」をご覧ください。

ロバート・ゴードン
Robert Gordon
1979年
Photo: Jean-Luc Ourlin
基本情報
出生名Robert Ira Gordon
生誕1947年3月29日
アメリカ合衆国メリーランド州ベセスダ
ジャンルロカビリー, ロックンロール, オルタナティブ・ロック, パンク・ロック
職業ミュージシャン, 俳優
担当楽器ボーカル
活動期間1976年 - 現在
レーベルRCAほか
共同作業者リンク・レイ, ダニー・ガットン, クリス・スペディング
公式サイト ⇒RobertGordon.com

ロバート・ゴードン(Robert Ira Gordon、1947年3月29日 - )は、アメリカロック歌手。パンク・ロックからスタートし、1970年代から1980年代にかけてロカビリー・スタイルで活躍。他にもオルタナティブ・ロックロックンロールまで幅広い音楽をプレイした。また、俳優としてもいくつかの作品に出演している。
目次

1 1950年代から1960年代

2 1970年代

3 1980年代

4 2000年代

5 影響

6 映画

7 ディスコグラフィ

8 脚注

9 外部リンク

1950年代から1960年代

ワシントンD.C.郊外のメリーランド州ベセスダ出身。1956年、9歳の時にラジオでエルヴィス・プレスリーの「ハートブレイク・ホテル」を聴いてロックンロールを志す[1]。彼は、ジーン・ヴィンセントエディ・コクラン、ジャック・スコット、ビリー・リー・ライリーなど、当時のスターの曲を片っ端から聴き、影響を受けた。ベセスダのチェビー・チェイス高校では演劇部で「ウエスト・サイド物語」のトニーを演じた。

1964年、ザ・コンフィデンシャルズのシンガーとして17歳でデビュー。ゴードン(当時はボブ・ゴードン)をメインシンガーとしてフィーチャーしたコンフィデンシャルズは、「Summertime」,「Money」,「There is something on your mind」など、当時のヒット曲のカバーをレコーディングした(これらの曲は2004年に彼の40周年記念CDがリリースされるまで陽の目を見なかった)。しかしこの頃から、ロックンロールよりも、黒人アーティストのR&Bソウルミュージックに夢中になる。当時のブリティッシュ・インヴェイジョンにはさほど興味がなく、ジェームス・ブラウンオーティス・レディングなどのソウルシンガーの方が好みであった。彼はワシントンD.C.の有名なハワード・シアターで働きながら、数多くのR&Bシンガーを間近に観た。

反戦ムードが高まった1960年代後半の不穏な時代、彼はワシントンD.C.の州兵として働いた。後に「ベトナム戦争に行きたくなかった。」と述べている[1]
1970年代

1970年ニューヨークに移り、数年後にパンクバンドTuff Dartsに加入。

1976年、ニューヨークのライブハウスCBGBで他のローカルバンドと共演。その模様を収めたライブ・コンピレーション・アルバム Live at CBGB's にはTuff Dartsの曲が3曲収められた。

翌年、レコードプロデューサーのRichard Gottehreが、Tuff Dartsを引き連れてリハーサルに励むゴードンと出会い意気投合。二人は正統派のロックンロールアルバムを作ることで合意する。ゴードンは、当時既に伝説的存在になっていたギタリストリンク・レイの起用を提案、Gottehreはすぐにレイと連絡を取り、プロジェクトはスタートした。

1977年、ゴードンとレイのふたりはプライベート・ストック・レコードからデビューアルバム『ロバート・ゴードン with リンク・レイ』をリリース。評論家からの評判もよく、セールスもまずまずだった。

エルヴィス・プレスリーの死と同時期にシングル「Red Hot」をリリース、ロカビリー・ナンバーとしては珍しく、ラジオで頻繁にオンエアされた。

1978年、プライベート・ストックからセカンドアルバム『Fresh Fish Special』をリリース。かつてエルヴィス・プレスリーのバックを務めたことのあるコーラスチームThe Jordanairesを起用し、ブルース・スプリングスティーンがゴードンのために新曲「Fire」を書き下ろし、キーボードもプレイした(「Fire」は後にポインター・シスターズがカバーし、ヒットチャートの2位まで上昇、オリジナル以上のヒットを記録した[1])。

しかし、アルバムが好調な売り上げを記録しているさなか、プライベート・ストック・レーベルは倒産。気を取り直してRCAレコードに移籍し、あこがれのエルヴィスと同じレーベルに自分も所属するという長年の夢が叶った[1]

意見の相違から、プロモーション・ツアー終了後にレイと袂を分かったゴードンは、新ギタリストとしてクリス・スペディングとコンビを組み、1979年2月に3rdアルバム「Rock Billy Boogie」をリリース。タイトルトラックのほか「Walk On By」,「It's Only Make Believe」,「The Catman」がラジオで取り上げられ、アルバムはヒットチャートのトップ100にチャートインした。
1980年代 クリス・スペディングと組んだ日本公演

1980年リリースの次作『Bad Boy』は商業的に失敗し、ゴードンはスペディングとのコンビを解消。新たにダニー・ガットンとコンビを組む。1981年にはRCAにおける最後のアルバム『Are You Gonna Be The One』をリリース、マーシャル・クレンショー作の「Someday, Someway」をシングル・カットし、チャートの76位まで押し上げた。アルバムも20万枚を売り上げてゴードン最大のヒットとなった。

1980年代前半はガットンとともに精力的にツアーを行い、そこでのベスト・パフォーマンスを収めたライブ・アルバム『The Humbler』がNRGレコードからリリースされた。

しかし、次のアルバムの予算の問題でRCAと対立して解雇され、以降ゴードンは長い沈黙の期間に入る。
2000年代

1990年代を通じて第一線から退いていたゴードンだが、2005年にクリス・スペディングとのコンビを復活し、ヨーロッパツアーを開始。デンマークスウェーデン、およびフィンランドのライブのハイライトを「The Reunion Tour」として、自身のレーベル Climate Control から発表ほか、フランスのレーベル Last Call から、アムステルダムでのライブを収録したDVD『Rockin' The Paradiso』をリリースした。

ゴードンとスペディングは2005年から2009年まで大規模なツアーを敢行、またエルヴィスの没後30周年を記念して、『Fresh Fish Special』で共演したThe Jordanairesを再度招聘し、エルヴィスの曲をカバーしたアルバムをワーナー傘下の Rycodisc からリリースした(なお、Rycodiscの強いプッシュにもかかわらず、アルバムはそれほど売れなかった)。

一時不調に陥った(歌詞を忘れたり、ステージの上でスタッフともめたりする場面が目立っていた)が、直近のライブ(2009年8月、2010年4月に共にトロントで行われたライヴなど)ではだいぶ調子を上げ、全盛期の歌声を取り戻しつつある。

現在でもマイナー・レーベルからオリジナル作品を発表したり、過去の作品のいくつかが再リリースされるなど地道に活動を続けている。


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