ロバート・ケーラー
1907年ころの肖像写真
誕生日 (1850-11-28) 1850年11月28日
出生地自由ハンザ都市ハンブルク
( ドイツ連邦)
死没年1917年4月23日(1917-04-23)(66歳)
死没地 アメリカ合衆国
ミネソタ州ミネアポリス
国籍 アメリカ合衆国
芸術分野油彩
教育ミルウォーキー: (H. Viandan, J. Roese); ニューヨーク: ASL, ナショナル・アカデミー・オブ・デザイン (Lemuel E. Wilmarth
ロバート・ケーラー(Robert Koehler、1850年11月28日 - 1917年4月23日)は、ドイツ生まれで、おもにアメリカ合衆国で活動した油彩画家、美術教師。 ケーラーは、ハンブルクに生まれ、姓の綴りは「Kohler」であったが、1854年に一家でアメリカ合衆国ウィスコンシン州ミルウォーキーに移住した際に、綴りを改めた。ケーラーはミルウォーキーで独英アカデミー(German-English Academy:後の University School of Milwaukee
経歴
1871年、ケーラーは眼の手術のためにニューヨークへ赴き、そのままリトグラフ製作者として同地にとどまった。ナショナル・アカデミー・オブ・デザインの夜間学級で素描を学んだ後[2]、1873年にミュンヘン美術院で美術を学ぶためにミュンヘンへと向かい、カール・フォン・ピロティやルートヴィヒ・ティールシュの下で学んだ。しかし、2年後に学資が尽きたため、ニューヨークへ帰還した。1879年には再びミュンヘンに渡ることができたが、これはニューヨークのジョージ・エーレット (George Ehret) という人物が、意欲と能力をもつ若手芸術家だったケーラーに関心を寄せたおかげであった。この2度目のミュンヘン行きの際に、ケーラーは、ルートヴィヒ・フォン・レフツやフランツ・デフレガーに師事した。また、この頃からウィリアム・メリット・チェイスやフランク・ドゥフェネクと親交を結んだ。
ミュンヘン時代のケーラーは、その作品に美術院から銀賞や銅賞を与えられ、さらにバイエルン王国の聖ミヒャエル勲章十字章を授与された。