ロバート・クビサ
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ロバート・クビツァ

ロバート・クビカ

ロバート・クビサ
Robert Kubica
ロバート・クビサ(2019年)
基本情報
国籍 ポーランド
生年月日 (1984-12-07) 1984年12月7日(39歳)
出身地ロバート・ユゼフ・クビツァ
Robert Jozef Kubica
ポーランド
クラクフ

基本情報
略称表記KUB
F1での経歴
活動時期2006-2010,2019,2021
所属チーム'06-'09 BMWザウバー
'10 ルノー
'11 ロータス・ルノー
'19 ウィリアムズ
'21 アルファロメオ
車番88
出走回数99
タイトル0
優勝回数1
表彰台(3位以内)回数12
通算獲得ポイント274
ポールポジション1
ファステストラップ1
初戦2006年ハンガリーGP
初勝利2008年カナダGP
最終勝利2008年カナダGP
最終戦2021年イタリアGP
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基本情報
WRCでの経歴
活動時期2013-2016
所属チームアブダビ・シトロエン・トタル・WRT
M-スポーツ ワールド・ラリー・チーム
出走回数33
チャンピオン回数0
優勝回数0
表彰台回数0
ステージ勝利数14
通算獲得ポイント43
初戦2013年ラリー・ド・ポルトガル
最終戦2016年ラリー・モンテカルロ
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ロバート・ユゼフ・クビツァ(Robert Jozef Kubica, 1984年12月7日 - )は、ポーランド共和国クラクフ市出身のレーシングドライバー

ワールド・シリーズ・バイ・ルノーおよびWRC2の初代チャンピオンで、ポーランド人初のF1ドライバーである。
姓について
意味

キリスト教新約聖書に出てくる使徒聖ヤコブ(いわゆる「大ヤコブ」、英語のジェイコブ)のポーランド語読み「ヤクブ(Jakub)」の指小形「クーバ(Kuba、ヤクブちゃん)」より。Kubicaの意味は「ヤクブちゃん家(あるいは、ヤクブちゃんのセガレ)の…」なので、Robert Kubica はを字義どおりに解釈すると「ヤクブちゃん家のロベルト」の意味になる。この姓はポーランドでは南部のマウォポルスカ地方とその周辺に多い。特にタトラ山脈のあるポトハレ地方独特の「グラル人(山の人)」と呼ばれるポーランド人の間でよく見られる姓である。クビツァの出身地であるクラクフはかつてポーランド王国首都が置かれるほど栄えた、マウォポルスカ地方の中心都市で、そこでは「Kubica」という姓は珍しくない。
発音・表記の仕方

日本語表記については、姓は「クビカ」、「クビサ」と表記されていたが、2006年シーズン途中でBMWザウバー広報から「クビカ」表記は止めて欲しいとのリリースがあった。しかし、クビツァと親しい川井一仁が本人に聞いたところ「クビカ」、「クビサ」、「クビツァ」を含めどの呼び方をされても気にはしていないようだとF1GPニュースで発言している。

F1関連のウェブサイトなどでは「ロバート・クビツァ」と表記するところが最も多い一方で、本来のポーランド語では「ロベルト・クビツァ」(例: サッカー選手のアンジェイ・クビツァ)、ポーランド南部の山岳地方では「ロベルト・クビッチャ」のように訛って発音するところ(グラル人など)もあり、2007年シーズンより、モータースポーツに手厚い東京中日スポーツを始め、朝日新聞共同通信などメディアでは「ロベルト・クビツァ」へと表記の切替が行われている。アクセントはロベルトのロ、クビツァのビにつく。ポーランドでも人によってはアクセントを強調して「ローベルト・クビーツァ」と発音することがある。なお、国際音声記号では ['robert ku'bitza][ヘルプ/ファイル]であり、これによればロベルト・クビツァがもっとも近い。また、英語圏のテレビ放送でも「クビーツァ」と母語に近い発音をしており、日本で多くのマスコミが使用する「クビサ」は少数派であるともいえる。
初期の経歴

4歳の時に両親にねだって買ってもらった4馬力のオフロードカーが自身のキャリアの出発点である。クビツァはこの車でペットボトルの周りを運転して遊ぶことに日々熱中した。成長すると父親Arturはカートを与えたが、クビツァは当時幼く、10歳以上でなければポーランド・カート選手権(the Polish Karting Championship)に参戦できなかった。10歳になり参戦すると、3年で6つのタイトルを獲得した。

その後次のステップに進もうと考え、父親の勧めで単身イタリアに渡る。1998年に国際イタリア・ジュニアカート選手権の初の外国人チャンピオンとなり、ヨーロッパ・ジュニアカート選手権でシリーズ2位、ジュニア・モナコ・カートカップで勝利と、初年度から華々しい結果をあげた。翌年、イタリアでのタイトルを防衛し、ドイツ国際カート選手権に参戦。またジュニア・モナコ・カートカップで再び勝利、マルグッティ・トロフィーやエルフ・マスターズレースといった名のある大会でも勝利を収める。2000年、ヨーロッパおよび世界選手権でともに4位となり、カートでのキャリアを終える。
ジュニア・フォーミュラエプシロン・ユースカディ時代のクビツァ。

2000年にフォーミュラカーレースにステップアップ。フォーミュラ・ルノーのテストドライバーとなる。2001年にユーロカップとイタリア選手権への参戦を開始した。フォーミュラ・ルノーには翌年まで留まり、2002年にユーロカップをランキング7位、イタリア選手権では10戦中4勝をあげてランキング2位という結果で終えた。

2003年にF3ユーロシリーズへと参戦し、ランキング12位。2004年に同選手権でランキング7位、同年のマカオGPでは2位表彰台という結果を残した。

2005年には、この年ワールドシリーズ・バイ・ニッサンから改組されて新たな選手権の初年度として開催されたワールド・シリーズ・バイ・ルノーエプシロン・ユースカディチームから参戦し、4勝を挙げて初代チャンピオンに輝いた。再びF3マカオGPにも参戦し、前年同様2位表彰台を獲得した。

同時に、この年はルノーミナルディなどからF1のテストにも参加し、ステップアップへの足がかりを築いた。
F1での経歴2006年アメリカGPにて。
F1(第1期)
2006年

2006年BMWザウバーの第3ドライバーとして起用され、特にシーズン中盤になってチームが力をつけるにつれ、金曜日のフリー走行や、テストなどでも好タイムを記録した。レギュラードライバーのジャック・ヴィルヌーヴが第13戦ハンガリーGPを欠場したため、このレースにおいてポーランド人初のF1ドライバーとして急遽デビューを飾った。荒れたレースの中7位で初完走し入賞圏内でレースを終えたが、マシン重量が最低基準に2kg足りなかったため失格となった。その後、ヴィルヌーヴはそのままBMWザウバーから離脱したため、以降のレースも参戦することとなった。第15戦イタリアGPでは3位でフィニッシュし、デビュー3戦目にして初の表彰台に輝いた。


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