ロニー・ガービン
プロフィール
リングネーム"ラギッド" ロニー・ガービン
ロニー "ザ・ロック" ガービン
ロン・ガービン
ミスター・ノックスビル
ワンマン・ギャング
本名ロジャー・バーンズ
ニックネーム石の拳を持つ男
身長178cm - 180cm
体重105kg - 110kg
誕生日 (1945-03-30) 1945年3月30日(77歳)
出身地 カナダ
ケベック州
モントリオール
スポーツ歴レスリング
ボクシング
デビュー1962年
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"ラギッド" ロニー・ガービン("Rugged" Ronnie Garvin、本名:Roger Barnes、1945年3月30日 - )は、カナダ・ケベック州モントリオール出身の元プロレスラー。
元NWA世界ヘビー級王者。ラフファイトに強いベビーフェイスのタフガイとして活躍し、その強烈なパンチ攻撃から "The Man with the Hands of Stone" の異名で呼ばれた(名付け親はプロレス実況者のゴードン・ソリー)[1]。目次 少年時代にモントリオールのバプティスト教会でパット・パターソンやテリー・ガービン(テリー・ジョイヤル)と共にトレーニングを積み、1962年に17歳でデビュー[1]。以後、テリー・ガービンの「弟」と称してロニー・ガービン(Ronnie Garvin)と名乗り、テリーとの「ガービン・ブラザーズ」で活動。 フロリダ、テネシー、ジョージアなどアメリカ南部をヒールのポジションで転戦し、1964年から1974年にかけて、各地区のローカル・タッグ王座を再三獲得[2][3]。その間、1971年1月にテリー・ガービンと共に日本プロレスに来日しているが、小柄だったこともあってタッグ王座への挑戦権は与えられず、これが最初で最後の日本マット登場となっている[4]。 1974年下期からは義理の息子でもあるジミー・ガービンも「末弟」として加わり、一時期はトリオの兄弟ユニットを結成していたが、1975年にガービン・ブラザーズを離れシングル・プレイヤーとなって活動。ルイジアナやノースカロライナを経て、1977年よりロン・フラー主宰のNWA傘下団体サウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリングに登場。ミスター・ノックスビル(Mr. Knoxville)なる覆面レスラーに変身し、同年6月10日にボブ・オートン・ジュニアと組んでジョー・ルダック&ボブ・アームストロングからサウスイースタン・タッグ王座を奪取した[5]。その後は素顔に戻ってベビーフェイスに転向、モンゴリアン・ストンパー、ボリス・マレンコ、アレックス・スミルノフ、ディック・スレーターらとサウスイースタン・ヘビー級王座を争い、通算8回に渡って同王座を獲得した[6]。 1979年、サウスイースタンでの戦友だったボブ・ループやオートン・ジュニアと共に、アンジェロ・ポッフォがケンタッキー州レキシントンにて旗揚げした新興独立団体インターナショナル・チャンピオンシップ・レスリング(ICW)に参戦。同年5月26日に同団体認定のサウスイースタン・ヘビー級王座の初代チャンピオンに認定され[7]、ペッツ・ワトレーやラニー・ポッフォとのタッグでも活動。以降ベビーフェイス陣営のトップとしてICWに定着し、1982年にかけてICW世界ヘビー級王者ランディ・サベージと抗争を繰り広げた[8]。 ICWの活動停止後はNWA圏に戻り、1983年よりジム・バーネット主宰のジョージア・チャンピオンシップ・レスリングに登場。1984年は4月7日にジェイク・ロバーツから世界TV王座を[9]、7月4日にジェリー・オーツと組んでロード・ウォリアーズからナショナル・タッグ王座を[10]、10月11日にはテッド・デビアスから同ヘビー級王座を奪取するなどの活躍を見せた[11]。 1985年下期からは、ジョージアを買収したジム・クロケット・ジュニアの運営するNWAミッドアトランティック地区に進出。1986年4月19日に開催されたタッグチーム・トーナメント "Crockett Cup
1 来歴
2 エピソード
3 得意技
4 獲得タイトル
5 脚注
6 外部リンク
来歴
同年9月2日にはブラック・バートを破りミッドアトランティック・ヘビー級王座を獲得し[13]、12月9日にはバリー・ウインダムをパートナーにザ・ラシアンズ(イワン・コロフ&クラッシャー・クルスチェフ)からUSタッグ王座を奪取[14]。そして1987年9月25日、ミシガン州デトロイトにてリック・フレアーを下してNWA世界ヘビー級王座を獲得した[15][16]。