ロニ・アンダーソン
[Wikipedia|▼Menu]

ロニ・アンダーソン
Loni Anderson
2012年12月のアンダーソン
本名Loni Kaye Anderson
生年月日 (1945-08-05) 1945年8月5日(78歳)
出生地 アメリカ合衆国ミネソタ州セントポール
国籍 アメリカ合衆国
職業女優
活動期間1966年、1975年-
配偶者ブルース・ハッセルバーグ (m. 1964⁠–⁠1966)
ロス・ビッケル (m. 1973⁠–⁠1981)
バート・レイノルズ (m. 1988⁠–⁠1993)
ボブ・フリック (m. 2008)
テンプレートを表示

ロニ・ケイ・アンダーソン(Loni Kaye Anderson、1945年8月5日 - )は、アメリカ合衆国女優。1978年から1982年にかけて4年間放映されたテレビドラマ『かっとび放送局WKRP』のジェニファー・マーロウ(英語版)役で知られる。
生い立ち

ミネソタ州セントポール環境化学者の父クレイドン・カール・"アンディ"・アンダーソンとモデルの母マクシーン・ヘーゼル(旧姓カリン)の娘として生まれ、同州郊外のローズビル(英語版)で成長した。1963年、ローズビルのアレキサンダー・ラムジー・シニアハイスクールの最上級生の時に、バレンタインデー・ウィンター・フォーマルのクイーンに選ばれた[1]。高校卒業後、ミネソタ大学ツインシティー校に通った[2]。彼女の自叙伝「My Life in High Heels」によれば父親は当初「レイロニ」 (Leiloni) と名付けようと考えていたが、10代になった時に「Lay Loni.」(俗語でロニとセックスして)と曲解されかねないと気付き、単に「ロニ」と変えた。
経歴1992年のアンダーソン

銀幕デビューは1966年のスティーブ・マックイーンが主演した映画『ネバダ・スミス』である。その後は1970年代中頃からテレビ番組にゲスト出演するようになるまで、女優としては約10年間に及ぶ空白期間が続いた。1975年に『特別狙撃隊S.W.A.T.』の2つのエピソード、シットコム『Phyllis』の1エピソードに出演。

最大の当たり役はCBSのシットコム『かっとび放送局WKRP』(1978?82年)の官能的な受付嬢ジェニファー・マーロウである。番組プロデューサーはアンダーソンが赤いビキニを着て、1976年のファラ・フォーセットの有名なピンナップを模したポーズをとっているポスターを見てこの役に抜擢した。製作者のヒュー・ウィルソンは、アンダーソンがジェーン・マンスフィールドの肉体とマリリン・モンローの無垢なセックスアピールを兼ね備えていたので、この役を射止めたと明かした。4年間を通してニールセン(英語版)の視聴率調査では振るわなかったが、ティーンエイジャー、ヤングアダルト、ディスクジョッキーの間に根強い支持者がいた。番組のいわゆる「目玉」としての人気が高まり、1980年夏のシリーズ中断期間にアンダーソンはシットコム出演を拒否し、相当額のギャラアップを要求した。中断期間の契約再交渉中に、CBSのテレビ映画『愛しのジェーン・マンスフィールド(英語版)』(1980年)で主役のブロンド悩殺美人ジェーン・マンスフィールドを演じた。CBSが彼女の要請を受け入れると、アンダーソンは『WKRP』に戻り1982年の番組打ち切りまで出演を続けた。『WKRP』は各国に番組販売され、長く人気を保った。

女優としての実績以外にも華やかな私生活、特に俳優のバート・レイノルズとの交際・結婚が注目を集めた。2人は評価も興行成績も不首尾に終わった、1983年のコメディ映画『ストローカーエース』で共演した。1984年、スティーブ・マーティン主演のロマンチックコメディー『スティーブ・マーティンのロンリー・ガイ』に自分自身として出演。1989年、アニメ映画『天国から来たわんちゃん』でラフ・コリーのフローの声を演じた。

1980年代には、アンダーソンの経歴に徐々に陰りが見えていった。1984年、酷評されたテレビシリーズ『Partners in Crime』でワンダーウーマン女優リンダ・カーターと共演。古典的ハリウッド映画をテレビ映画としてリメイクした『三人の妻への手紙』(1985年放映、ミシェル・リー(英語版)と共演。)や『私は殺される』(パトリック・マクニーハル・ホルブルックと共演。)のテレビ向けリメイクに出演したが、どちらも殆ど注目されなかった。1990年、映画『Coins in the Fountain』に出演後、1991年のテレビ映画『White Hot: The Mysterious Murder of Thelma Todd』における喜劇女優セルマ・トッドの人物描写は少なからぬ賞賛を受けた。

1990年代初め、CBSの新作コメディ『Evening Shade』で夫のバート・レイノルズと共演しようとしたが、CBS側は難色を示しアンダーソンの代わりにマリル・ヘナーを配した。 1991年、CBSの『浮気なおしゃれミディ(英語版)』からデルタ・バークが解雇された後任として、製作者はアンダーソンにバークの役を提供したがギャラが折り合わずに実現しなかった。 しかし『かっとび放送局WKRP』新シリーズ (The New WKRP in Cincinnati) の2つのエピソードにジェニファー・マーロウとして復帰する事には同意した。1993年、NBCのシットコム『Nurses』の第3シーズンに病院管理者のケイシー・マカフィー役で出演。番組のテコ入れのための出演であったが、シリーズは間もなく打ち切りとなった。その後は『サブリナ』(1997年)『V.I.P.』(1999年)などの人気テレビドラマにゲスト出演し、また1998年には映画『ロクスベリー・ナイト・フィーバー(英語版)』に出演した。
私生活

アンダーソンは4回結婚した。ブルース・ハッセルバーグ(1964年?66年)、ロス・ビッケル(1973年?81年)、俳優で共演者でもあったバート・レイノルズ(1988年?93年)。2008年5月17日、ブラザース・フォアの創立メンバーの1人であるボブ・フリックと結婚[3]。2人は1960年にフリックのグループの曲「グリーンフィールズ」がポップチャート2位に入った数年後に、アンダーソンの故郷セントポールでの映画プレミアで出会った。式典には友人と家族(息子のクイントン・レイノルズを含む)が参加した。

彼女には2人の子供がいる。最初の結婚で生まれた娘[4]、ディードラ・ホフマンは[5]カリフォルニアの学校経営者である[6]。バート・レイノルズとの間には、息子クイントン・アンダーソン・レイノルズ(1988年8月31日 - )が生まれた[7]。1997年、自叙伝「My Life in High Heels」を著した。

喫煙者で慢性閉塞性肺疾患(COPD)に冒された両親と共に育ったアンダーソンは[8]、国立呼吸器健康教育プログラム (NLHEP) キャンペーン[8]及びCOPDと介護者支援の認識を広める[9]COPDTogether[10]のスポークスウーマンとなった[8]

アンダーソンはルター派として育った[11]
主な出演作品
映画

年タイトル役名備考
1966『
ネバダ・スミス』ブルネットの酒場の女クレジットはされず
1976『恐怖の暴力自警団(英語版)』ピーチーズクレジットはされず
1983『ストローカーエース』ペンブルック・フィーニー
1984『スティーブ・マーティンのロンリー・ガイ』本人としてクレジットはされず
1989『天国から来たわんちゃん』フロー声優として


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:23 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef