ロナルド・グラハム
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Ronald Graham
ロナルド・グラハム
ロナルド・グラハム(1998年)
生誕 (1935-10-31) 1935年10月31日
アメリカ合衆国 カリフォルニア州タフト(英語版)
死没2020年7月6日(2020-07-06)(84歳)
アメリカ合衆国 カリフォルニア州ラホヤ
国籍 アメリカ合衆国
研究分野数学計算機科学
研究機関ベル研究所、AT&T研究所(英語版)
出身校カリフォルニア大学バークレー校
論文On Finite Sums of Rational Numbers (1962)
博士課程
指導教員デリック・ヘンリー・レーマー(英語版)
主な業績組み合わせ数学情報科学グラフ理論スケジューリング理論
プロジェクト:人物伝
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ジャグリングをするロナルド・グラハム(1986年)

ロン・グラハム(Ron Graham)ことロナルド・ルイス・グラハム(Ronald Lewis Graham、1935年10月31日[1] - 2020年7月6日[2])は、アメリカ合衆国数学者である。スケジューリング理論、計算幾何学ラムゼー理論、準ランダムネス(英語版)の分野において重要な研究をしており[3]、「近年における世界的な離散数学の急速な発展の主要な立案者の1人」であるとアメリカ数学会から認められた[4]

彼は、カリフォルニア通信情報技術研究所(英語版)(Cal-(IT)2)の主任科学者であり、カリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)の計算機科学・工学のアーウィン=ジョアン・ジェイコブス教授だった。
生涯

グラハムはカリフォルニア州カーン郡タフト(英語版)で生まれた。1962年にカリフォルニア大学バークレー校で数学のPh.D.を取得し、同年よりベル研究所(後のAT&T研究所(英語版))に勤務した[5]。同所に37年間勤務して、最終的に情報科学部門の管理者となり、1999年に退職した。

彼の1977年の論文は、ラムゼー理論に関する未解決問題について考察したもので、その解の推定値の上限として巨大数を与えた。この数は「グラハム数」と呼ばれており、数学的証明において使用された最大の数として、かつてギネス世界記録に掲載されていた。現在では、TREE(3)などのそれよりも大きな数が知られている。

グラハムは、「エルデシュ数」の概念を普及させた。これは、生涯で大量の論文を発表し、その多くが共著であったハンガリーの数学者ポール・エルデシュに因んで名付けられたものである。ある科学者のエルデシュ数は、共著の出版物で科学者同士を結びつけたときに、エルデシュまでたどり着く最小の科学者の数と定義される。グラハムのエルデシュ数は1である。グラハムはエルデシュと30件以上の論文を共同で発表しており、良い友人でもあった。エルデシュはしばしばグラハムの元に留まり、数学論文や収入の管理さえグラハムに任せていた。グラハムとエルデシュは、若くして脳腫瘍で入院した数学者ジョン・フォークマン(英語版)を、2人で何度も見舞いに行っている[6]。エルデシュの死後は、グラハムが「エルデシュの問題」の懸賞金の管理を行っていた。

1993年から1994年まで、グラハムはアメリカ数学会の会長を務めた。グラハムは、「リプリーズ・ビリーブ・イット・オア・ノット!」で、「世界有数の数学者」であるとともに、「高度に熟練したトランポリン選手およびジャグラー」でもあり、国際ジャグラー協会(英語版)の元会長としても紹介されている。ハンガリー人数学者ピーター・フランクルは、グラハムに会ったことでジャグリングを始めた[7]左からポール・エルデシュ、ロナルド・グラハム、グラハムの妻の金芳蓉(英語版)(1986年、日本にて)

彼は約320の論文と5つの本を出版した。その中にはドナルド・クヌースオーレン・パタシュニクとの共著のConcrete Mathematicsもある[8]

彼は、カリフォルニア大学サンディエゴ校のインターネット数学のアカマイ教授である金芳蓉(英語版)と結婚している。

2020年に84歳で亡くなった。
賞と栄誉

2003年、グラハムはアメリカ数学会のスティール賞生涯業績部門を受賞した。この賞は、同年1月16日にメリーランド州ボルチモアで開催された合同数学会議で授与された。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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