ロナウジーニョ
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.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この名前は、ポルトガル語圏の人名慣習に従っています。第一姓(母方の姓)はデ・アシス、第二姓(父方の姓)はモレイラです。この人物の日本語表記には、主に以下のような表記揺れがあります。

ロナウジーニョ

ホナウジーニョ

ロナウジーニョ

2019年のロナウジーニョ
名前
本名ロナウド・デ・アシス・モレイラ
Ronaldo de Assis Moreira
愛称ロニー、ファンタジスタ、
ラテン文字Ronaldinho
基本情報
国籍 ブラジル
スペイン
生年月日 (1980-03-21) 1980年3月21日(44歳)
出身地ポルト・アレグレ
身長180cm[1]
体重83kg
選手情報
ポジションMFAM[2]
FWSTLWG[2]
利き足右足
ユース
1987-1998 グレミオ
クラブ1
年クラブ出場(得点)
1998-2001 グレミオ 52 (19)
2001-2003 パリ・サンジェルマン 55 (17)
2003-2008 バルセロナ 145 (70)
2008-2011 ミラン 76 (20)
2011-2012 フラメンゴ 33 (15)
2012-2014 アトレチコ・ミネイロ 48 (16)
2014 ケレタロ 25 (8)
2015 フルミネンセ 7 (0)
通算432(167)
代表歴
1996 ブラジル U-176 (2)
1999 ブラジル U-205 (3)
2000-2008 ブラジル U-2327 (18)
1999-2013 ブラジル97 (33)

獲得メダル

男子 サッカー
 ブラジル
FIFAワールドカップ
2002 日本・韓国
FIFAコンフェデレーションズカップ
1997 メキシコ
2005 ドイツ
コパ・アメリカ
1999 パラグアイ
オリンピック
2008 北京サッカー


1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ロナウジーニョ・ガウショ(Ronaldinho Gaucho, ブラジルポルトガル語発音: [?onaw?d???u ga?u?u])、ロナウジーニョ(Ronaldinho)こと、ロナウド・デ・アシス・モレイラ(Ronaldo de Assis Moreira, 1980年3月21日 - )は、ブラジルリオグランデ・ド・スル州ポルト・アレグレ出身の元サッカー選手。元ブラジル代表。現役時代のポジションはミッドフィールダー[3]。愛称はガウショ (Gaucho)[4]。また、ポルトガル語による本来の読みはホナウジーニョである。

サッカー史上最高の選手の1人であるとみなされており、バルセロナ時代には中心選手として2度のリーガ・エスパニョーラと14年ぶりとなるUEFAチャンピオンズリーグ優勝を経験し、2004年と2005年の2年連続でFIFA最優秀選手賞、2005年にはバロンドールを受賞した[5][6]。ブラジル復帰後の2013年にはアトレチコ・ミネイロコパ・リベルタドーレスを制覇し、ヨーロッパと南米の国際大会を両方を制した史上8人目の選手となった[5]。またブラジル代表としては2002 FIFAワールドカップ優勝に貢献[6]。オーバーエイジ枠で出場した北京オリンピックは銅メダルを獲得した。

高いテクニックから生み出される独創的なプレーや、試合中にもしばしば笑顔を見せてサッカーを楽しむプレースタイルから世界中からファンタジスタと称賛され[5][6]、引退後の現在も高い人気を誇っている。
人物

いつも笑顔でスタジアムの外でも彼の態度は変わらない。ミシェル・プラティニは「彼はあの笑顔でみんなを引きつける」と語る。マルチェッロ・リッピは「彼に見つめられて、あの大きな前歯と笑顔を魅せられたら、一瞬にして好感を抱くよ」と語っている[7]

ディエゴ・マラドーナはロナウジーニョのなかにこのような資質を認めている。「彼はまちがいなく最高のプレーヤーだ。楽しそうにプレーし、その喜びをピッチにもたらしているからね」[7]

スペインの日刊スポーツ誌『AS』のコラムニスト、ファン・クルスは「ロナウジーニョは世界で一番陽気なプレーヤーだ。人々を、対戦相手までもハッピーにしてしまう。どんなときも最高の感動、情熱、連帯感それに喜びを伝えてくれる」と断言する。ブラジルの漫画家マウリーシオ・デ・ソウザはロナウジーニョの喜びが人から人へ伝わるのは「自らの職業を、労働ではなく、愉快な遊びのようなものととらえているからだ」と評している[7]

オマール・シヴォリはためらうことなく彼を救世主と呼ぶ。サッカー界が長年待ち望んできた選手であると。それまでサッカー界は暗い表情、尽きることのない論争、乱暴な行為、侮辱的言動、絶えずケチを付け不平を言い抗議する世界だった。ロナウジーニョはこの正反対であった。サッカーの信じられないような軽快さを体現していた[7]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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