ロドス島の巨像
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ロドスの巨像の想像図 (The Grolier Society's 1911 Book of Knowledge)

ロドス島の巨像(ロドスとうのきょぞう、Colossus of Rhodes)は、紀元前3世紀頃にリンドスのカレス(英語版)によってエーゲ海南東部のロドス島に建造されたとされる、太陽神ヘーリオスをかたどった彫像(コロッソス)。世界の七不思議の一つ。

現在まで実在を示す遺構などはないものの、一般的に知られているのは、全長は34メートル。台座まで含めると約50メートルになり、現代のニューヨーク自由の女神像に匹敵する大きさであった。ヘーリオスは同じ太陽神のソルアポロン(ローマ名アポロ)と混同されたため、アポロの巨像とも呼ばれる。

日本での表記には様々あり、ヘーリオスの巨像、ロドスの巨像や、ロドス島が「ロードス島」と表記されることもしばしばであることから(ロドス島#名称参照)、ロードスの巨像、ロードス島の巨像などとも表記される。また、1961年製作のイタリア映画の邦題では「ロード島の要塞」と題された。
建造に至る経緯詳細は「ロドス包囲戦」を参照

紀元前323年アレクサンドロス3世が死亡。彼には後継者が存在しなかったため、マケドニア帝国は有力な将軍たちによって分裂し、ディアドコイ戦争に突入した。この戦争において、ロドスはエジプトを領するプトレマイオス1世に協力した[1]

プトレマイオスの対抗者であるアンティゴノス1世は、紀元前305年、息子のデメトリオスに40,000の軍を率いさせてロドスへ派遣した。城壁で囲まれたロドスの防備は固く、デメトリオスは攻城塔を作って接近しようとした。まず、6隻の船に攻城塔を搭載して送り出したが、嵐のために接近できなかった。デメトリオスは、ヘレポリス(英語版) (Helepolis) と名づけたさらに大型の攻城塔を建設し、これを陸上からロドスへ送り込んだ。しかし、城内から出撃したロドスの守備隊が、城壁に到達する前にヘレポリスを阻止した。紀元前304年、プトレマイオスの派遣した軍隊がロドスに到着、デメトリオスは大いに慌て、急いで軍を引き揚げさせた。あまりにも急な撤収だったため、多くの装備が置き去りにされていた。なお、デメトリオスはロドスの征服には失敗したが、他の都市を多く包囲、陥落させたため、ポリオルケテス (Poliorcetes、ポリス攻囲者) と呼ばれた[2]


16世紀の画家Martin Heemskerckによる想像図

ロドスの人々はこの勝利を祝い、太陽神ヘーリオスへの感謝の証として彫像を作ることとした。建造の指揮はリンドスのカレス(英語版)に任された。彼は20メートルを超えるゼウス像を建造したリュシッポスの弟子だった。また、かつて大彫像の制作に関わったことのあるロードスの住民も協力した[3]


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