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ロッド・スチュワート
Rod Stewart
ロッド・スチュワート
基本情報
出生名ロデリック・デイヴィッド・スチュワート
(Roderick David Stewart)
生誕 (1945-01-10) 1945年1月10日(75歳)
イングランド
ロンドン
ジャンルロック、ブルー・アイド・ソウル
ブルースロック
ポップ・ロック
職業シンガーソングライター
担当楽器ボーカル
バンジョー
ギター
ピアノ
ハーモニカ
レーベルヴァーティゴ/マーキュリー
ワーナー・ブラザース・レコード
アトランティック
J
サー・ロデリック・デイヴィッド・“ロッド”・スチュワート(Sir Roderick David "Rod" Stewart、1945年1月10日 - )は、スコットランド家系のイギリスのミュージシャン。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第59位[1]。
「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第33位[2]。目次 1960年代後半からジェフ・ベック・グループ、フェイセズでの在籍を経てソロで活躍。個性的なハスキーボイスの持ち主で、そのボーカル・スタイルは一部のロック・ミュージシャンに影響を与えた。10代の頃にはプロ・サッカーの3部リーグのチームのトライアルも受けたことで知られている。ライブでは客席にサッカーボールを蹴り込むパフォーマンスが定番となっている。 近年は『ザ・グレイト・アメリカン・ソングブック』シリーズを発表し、スタンダード・ナンバーのカバー曲に取り組むシンガーとしても活動している。2013年以降はソングライティングを再開し、オリジナルアルバムも発表している。 2016年6月10日、英国政府によりナイト爵位が授与されることになった。大英帝国第3級勲位(CBE)が既に授与されており、音楽界への長年に渡る貢献が評価された。 レコード、CDの全世界におけるトータル・セールス枚数は(シングル込みで)2億5000万枚以上。全米No.1アルバム4作、トップ10アルバムは17作。全英No.1アルバム10作、トップ10アルバムは33作の記録を持つ。 ロバートとエルシー・スチュワート夫妻の5人兄弟の末っ子だった。彼の両親はロンドン北部で新聞販売業を営み、一家は店の2階に住んでいた。ロッドが、ロンドンのハイゲートで誕生する数分前に、ドイツのV2ロケットがちょうど通りの向かいの警察署へ命中した。 墓掘り人夫などの日雇い仕事を転々とした後、彼はサッカー選手として西ロンドンを本拠とするブレントフォードFCに参加したが、わずか3週間ほどでクラブから退団。1960年代前半に、放浪の罪で追放されたスペインのフォーク歌手、ウィズ・ジョーンズ
1 概要
2 経歴
2.1 下積み時代
2.2 ジェフ・ベック・グループ
2.3 フェイセズ
2.4 ソロ時代
3 私生活
4 日本での影響
5 日本公演
6 テレビCM
7 ディスコグラフィ
7.1 ジェフ・ベック・グループ
7.2 フェイセズ
7.3 ソロ・アルバム
8 関連項目
9 脚注
10 出典
11 外部リンク
概要
経歴
下積み時代
1964年にロンドンに戻ると、ロング・ジョン・ボルドリーの率いるフーチ・クーチー・メンに加入した。バンドはシングル「グッド・モーニング・リトル・スクールガール」を発表したが、チャートインはしなかった。フーチ・クーチー・メンは、ロッドとボルドリー、ジュリー・ドリスコール、ブライアン・オーガーらがメンバーで、のちにスティームパケットに発展した。スティームパケットは、1965年夏のローリング・ストーンズとウォーカー・ブラザーズのツアーをサポートし、アルバムを録音し数曲にボーカリスト及びコーラスとして参加するが、ロッドが1970年代に成功するまで発表されなかった。モッド・ムーブメントの後に「ロッド・ザ・モッド」の愛称を得た。
スティームパケットは1966年前半に解散し、ロッドはベリル・マースデンの率いるショットガン・エクスプレスに参加した。ショットガン・エクスプレスは、後にフリートウッド・マックを結成したミック・フリートウッドとピーター・グリーン、またピーター・バーデンス(元ゼム、後にキャメル)が参加していた。ショットガン・エクスプレスは、解散直前に1枚のシングルを発表している。 ショットガン・エクスプレスの解散後、ジェフ・ベック率いるジェフ・ベック・グループに参加する。1968年に最初のアルバム『トゥルース』が英米でヒットし、大規模なツアーが行われた。セカンド・アルバム『ベック・オラ』もヒットしたが、バンドは1969年末に解散した。
ジェフ・ベック・グループ