ロッテルダム港
所在地
国 オランダ
所在地ロッテルダム
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯51度53分06秒 東経4度17分12秒 / 北緯51.8850度 東経4.2867度 / 51.8850; 4.2867
ロッテルダム港(オランダ語 Haven van Rotterdam ハーフェン・ファン・ロッテルダム)は、オランダ・ロッテルダムにある港湾で、ヨーロッパ最大の港であり(アジアを除けば世界最大)、コンテナ取扱量は世界第11位(2020年)[1]である。ライン川が北海に注ぐ直前に位置し、外洋と河川の結節点として発展した。世界最大の石油化学工業地帯でもあり、石油メジャー各社のコンビナートが林立している。1960年代に建設されたユーロポート(英語版)(ウーロポールト)の名は特に有名で、俗にロッテルダム港全体を指して「ユーロポート」と呼ぶことがある。
歴史ロッテルダム港入口にあるメスラントケリンクマースフラクテ(英語版)地区にあるコンテナターミナルコンテナターミナルと無人搬送車ロッテルダム港の本社(2012年)
ロッテルダムが港町として発展するきっかけとなったのは、1250年ころに作られたロッテ川(英語版)をニューウェ・マース川から仕切る堤防である。海水面が上昇し塩水が内陸に浸入するようになったためこのような措置がとられた。これによりロッテ川と新マース川の間を行き来するには荷物の積み替えが必要となり、港町としてのロッテルダムの歴史が始まることになる。「ロッテルダム(Rotterdam)」とはロッテ(Rotte)川の堤防(dam)と言う意味である。その後北海におけるニシン漁の基地としてもロッテルダム港は利用されるようになった。商港としてのロッテルダム港の重要性が高まったのは15世紀以降である。1421年には洪水でドルトレヒト港が大規模な被害を受け、デルフト港は水深が浅く、船舶の大型化に対応できなかった。八十年戦争(1568 - 1648)ではアントウェルペン港(英語版)やアムステルダム港(英語版)が封鎖されたため、ロッテルダム港の重要性はさらに高まった。東インドなどの植民地との貿易もあり、17世紀には大規模な埠頭や造船所の開発が進み、街とともに急速な発展を遂げた。
19世紀に入るとロッテルダム港は更なる急速な発展を遂げる。ひとつは産業革命の影響により、大規模な資源、製品の運搬が必要になったためである。特にルール地方への鉄鉱石の需要が大きな影響を与えた。さらに1868年のマンハイム条約により各国の船舶が自由にライン川を航行できるようになり、ライン川河川交通の重要性が増した。これに加え、ロッテルダム港と北海を直結するニューウェ・ウァーターウェーフ(英語版)(Nieuwe Waterweg)が1872年に開通し、航行時間の短縮、容量の増加が図られた。従来港は右岸のみにあったがこの時期に左岸にも拡大した。
20世紀に入ると重工業はさらに発展し、ロッテルダム港でもこれに対応し、ウァールハーフェンとメールウェハーフェンが建設された。メールウェハーフェンは石油化学工業に特化した埠頭である。第二次世界大戦中、1940年5月にはナチス・ドイツによる戦略爆撃の対象となり、ロッテルダムは壊滅的な打撃を受けたが、港湾の需要は戦後まもなく回復し、1950年代までにエーンハーフェンやボトレックが建設された。
ドイツの急速な復興もあり、ロッテルダム港の利用は増え続けた。